毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は自然と何かを考え、ものを作る生き物。

ものづくりとか何を作るとか、そういった事は手間のかかる事で大変な作業というイメージがあり、それで人は何かを作るというのは簡単ではない、というように思う事もあると思います。

 

何かを作るより、考え事をする方が簡単だから、そのような事で考え事ばかりしていたら、実際に何もやっていないような気がしてきて、やはり人は何かを作らないといけないのではないか、そういう気がしてきます。

 

実際、人間は昔から色んなものを作って文化を育んで、それで現代の生活があるわけで、人のものづくり無しに、人の生活など無いわけです。

 

とは言え、例えば、文章を書くみたいな事は日常茶飯事にやっている事で、これも、言葉が作られたり、文書が作られたりして、それで社会のシステムが回っていたり日常が回っていたりする事を考えると、言葉を扱う事もすでに何かを作る事に関係して、何も作っていないように見えて、実は生活の中のほとんどの事は、何かを作っている事に関係しているとも言えます。

 

そして何より、何かを作る時に、考えながら作るわけで、思考は作る事の根っこにあるわけです。作りながら考える事もありますが、思考が先行して何かを作っているわけです。

 

現代の生活は、ある意味、作る事を前提とし過ぎていて、何か分かりやすいものを能動的に作っていないと、作っているという感覚がないのかもしれません。

 

ですが、実際には、考え事をした延長にはすぐに何かを作るアウトプットがあって、知らず知らずのうちに人は何かを作っている可能性があるわけです。

 

ものすごいものではなくても、些細なものは作っているわけです。その身近な例が、文章を書く、というような事です。ひょっとしたら、言葉を発する事も、何かを作っていると言えるかもしれません。

 

その意味で、ものづくり、といったような事は、すでに普段の生活の中で人はやっていて、逆に、それが億劫に感じられるとすれば、それは何かを日々作り続け過ぎているのかもしれません。

 

それで、ただ考え事だけをしていたい、という事かもしれません。

 

人間は、本来、自然と何かを作るし、そして、何かを考える生き物です。そこに疑いの余地はありません。逆にものづくりに対する抵抗感があるとすれば、それでものづくりをベースとした現代社会の前提によるものです。

 

ですから、あらためて、あるがまま、ただ考え事をして、何もしようとしない。そういう事が、自分を自然に人間らしくして、気が付いたらものを作り始めているかもしれないわけです。