人間の概念というものは不思議なもので、概念を持たず、それを使わない人はいないのではないかと思います。
概念は、形而上学的な事であって、人間の脳が創り出すものです。手に取って触れるようなものでもなく、具体的なものでもなく、ただ頭の中に思い浮かべるような実体の無いものではあるわけですが、それを操りながらものを考えたり、それを人と共有しようとしたりもするわけです。
また、言葉は、意味を表すものであって、その意味を、視覚的に分かるような文字で表記するものであって、その意味で、人と共有しやすいものであると同時に、ものを考える時にもとても有用であるわけです。
言葉は文字で表記されますが、音も持っていますから、言葉は意味の側面や視覚的な側面だけではなく、音としての側面も持つわけで、人間の知覚に対する複数の側面を兼ね備えた、でも、実体の無いものでありながらも、広く普及して長らく使われているわけです。
情報は、近年も益々人々に対する影響が大きく、その概念の理解や新しい理解の仕方が次々と生まれています。言葉の側面もあり、また、データとしての側面もあり、このもはや人間の概念を超えて、人間は振り回される勢いです。
言葉とは、意味を含んでいて、人間が意味として納得感を得るのは、それが論理的だからであって、論理的だから意味として理解でき、納得感があるとも言えますが、逆に、納得感があるものが論理的であり、意味があると見做せる、そのようにも脳がしている事を踏まえると考える事が出来るわけです。
人間が言語を操れる事は言葉を使っている事から言え、また、文字としての言語を操っているのは視覚に依るからと言えます。
特に人間が知覚するときにかなり視覚に頼っている事からも、言葉は非常に有効であるわけですが、その意味で、イメージは人間に大きな影響を与える事が言えます。
何か想像するときも、自分の中にイメージを想起するのであって、視覚を活用している事が分かります。
ただ、人間の認知は、視覚のような単純な知覚だけでなくて、論理や意味、情報、言語、言葉の領域は極めて重要で、あらゆる概念を操る事が人間としていく事を可能にしているわけです。
概念は、手で触れる事も出来ず、想像するものであって、イメージするものであって、でも、そこに、論理や、意味、いわゆる思考を使って、様々な事を捉え、認知しながら、人間の営みのかなりの領域を占めながら生きているわけです。