ジャーナリングの良いところは、ただ何かを書いているうちに、思いもよらない形で自分の考えやアイデアが出てくるところです。
とにかく書いていくうちに、自分の中に元々あった考えやアイデアがジャーナリングのプロセスによって出てくるのか、ジャーナリングをする事によって、新たに考えやアイデアが生成してくるのか、編み上げられていくのか、そのプロセスは様々ですが、何か出てくるわけです。
編み上げられていくという意味では、ジャーナリングとは編み物の棒針のようなもので、頭の中には、考えやアイデアの元となる断片の様なものが毛糸のようにあって、ただジャーナリングによって編み上げられていく、そういうイメージかもしれません。
また、編み上がっていくものの原料は、自分の中に元々ある毛糸だけではなく、元々自分の中には無かった、別の種類の毛糸も使っているのかもしれません。
ただ、ジャーナリングという作業によって編み上がっていくという事です。
編み物の技術は様々ありますから、その技術の多様性によって編み上がっていくものの多様ではあるわけです。
ジャーナリングも当然個人差がありますから、その人個人の独特のジャーナリングの仕方が、編み上がっていく考えやアイデアを、独特のものにするのかもしれません。
ジャーナリングの技術も、繰り返し行っていくうちに、確立されていって、種類も増えてきて、いろんなアイデアが生まれてくるわけです。
ジャーナリングの編み方は、繰り返し日々やっていれば、何か技術になっていくわけですから、後はもう、何も考えずに、ただジャーナリングを始めて見ればいいわけです。
特に編み上がっていく考えやアイデアの事は気にせず、とにかくいつものようにジャーナリングをやるんです。
あまり構えずに、無理にアイデアを出そうともせずに、ただ、楽しんでジャーナリングをやるんです。習慣として続けていく事で、自然とジャーナリングは自分の技術になるんです。
ですから、ジャーナリングをするときというのは、ただ書き出してみて、そして、思いつくままに言葉を足していって、紡ぎ出していけば、気が付いたら文章になっているわけですから、あとは、自分の踏み出す先に言葉を足してそこに足を乗せて前に進んでいくように、書いていったらいいんです。
それがどこに行きつくか分かりませんが、それ相応の場所には辿り着くはずです。
そして、自然と何かが自分のジャーナリングの技術によって、編み物の棒針の役割を果たしながら何か新しい考えやアイデアを編み上げていくわけです。
ただ、それを楽しんでやったらいいんです。