人間が自然に出来る事の1つが、考える事だと思います。「考える事」は、言い方を変えると、「論理づけをする事」とも言えます。
人は、論理的に考える事によって、何か分かった気になったり、納得できたり、腑に落ちたりします。何か、よく分からない、混沌とした状態が、論理づけによって解消されてスッキリするような感じです。さらに言うと、混乱した状態で脳がストレス状態になっていたのが、論理づけをする事で解放されるような感じです。
一方で、人が自然とする事がもう1つあって、それは想像する事です。人は意図せずとも、無意識に、何かを頭の中で想像してしまうわけです。
何か頭の中で表象という形でイメージしたり、過去の体験や記憶をイメージとして思い出したり、さらに想像したものが膨らんだり展開したり、そのようにして、特に何も考えなくても、想像してしまうわけです。
空想も、妄想も、何かイメージする事も、みんな想像のうちで、きっと脳がそのような事を自然としてしまうんだと思います。
意識を何かの対象に集中させると、勝手に想像してしまう事を妨げる事はできるものの、無意識の状態になると、勝手に想像するわけです。
想像するとは、人間の営みとしては、最も労力の掛からない、ごく基礎的な事であるわけです。
人間はそのようにして、想像する事を基礎としながら、同時に考える事、論理づけをする事を、常にやっています。
物語とは、想像する事と、考える事を、組みあわせたものとみなす事が出来ます。
想像は、特に脈略もなく、意味がある事を前提としていませんが、これに、論理的な筋道をつける事で、想像に意味がもたらされるわけです。これが物語であるわけです。
物語は、自分にとって、何か一貫性があるようなもので、意味があると思えるようなもので、何か腑に落ちる、分かったような気になるものです。
ですから、人は、自分の中に自然に生まれた物語とともに、その物語を基礎として、生きているわけです。
自分の物語を上手に使いながら、何か納得感を持って、日々を生きようとするわけです。
単なる想像物に過ぎない物語でありながら、生きる事を基礎として支え、立ち止まってしまう時にはその物語を使って、人はまた前進していけるわけです。
人間は脳を持っている事で、自然と、何かを想像し、そして、それを思考により助け、道筋をつけ、納得感をもたらし、そして、自分だけの物語を携えて、生きているわけです。それが人間の営みの基礎と言えるわけです。