何か気が付いたら、自分の事ばかり気にしているわけです。自分に強くこだわっているわけです。何か、自分を保とうとして、自分を自分で支えようとして、自分という中心に向かって、自ら求心力を持って自分を担ぎ上げようとするわけです。
一体、自分は何故こんなにも自分に圧をかけ、自分の濃度を高めようとしているのでしょうか。
何か、自分を守ろうとするような気持ちが、無意識に、背後にあるような感じです。
きっと、不安な気持ちがそうさせるわけです。何か自信なさげな自分がそうさせるわけです。
何か弱気になり、臆病な自分がそうさせるわけです。
何かそうすると、自分は確固たる自分になり、強くなるでしょうか。きっとそんな事は無いわけですが、無意識の自分が自分に向かって力をかけるわけです。
守りに入る自分は頑なですから、なかなか手を放しません。自分をまるで締め上げるように、手を放さないわけです。
ですが、そんな事をしても、自分は全然強くもならず、確かなものにもならず、安心も安定ももたらされないわけです。
何故か力み、何故か緊張しているわけです。緊張して自ら引き締めて、締め上げて、気が付いたら窒息する勢いです。
そんな時は、きっと息をするのを忘れています。
また、身体を動かすのを、身体を揺らすのを忘れています。
脱力が必要なんです。手の力を抜いて、自分を手放すという事です。自分を掴んでいる手を、放すという事です。
気が付いたら、すぐに、自らの手で自分を締め上げ、自分を担ぎ上げ、何か確固たる自分にしようとしています。
ですから、日々脱力するんです。毎日脱力するんです。気が付いたら脱力するんです。
脱力するというのは、ダラダラするという事ではありません。ただ怠けるという事ではありません。
単に、力を抜くんです。
自分に対する強いこだわりを捨て、脇に置き、力を抜くんです。
これ以上自分にこだわったって、また、自分の事ばかり考えたって、何も生み出さないし、自分には何も起こらないんです。むしろ、自分が追い詰められていくだけなんです。
ですから、その手を放し、手の力を抜き、自分を自由にし、自分を解放するんです。自分に対するこれ以上のこだわりや、自分をこれ以上守ろうとする事や、確固たる自分にしようとする事を止めるんです。
そして、脱力するんです。脱力して、自分を手放して、自分への過剰なこだわりを捨てるんです。もうすでに自分はそこに居るし、ただ、後は力を抜いて、息をして、身体を揺らすんです。
日々脱力するんです。きっと視界は広がります。