人は色んなものを見ると、あれこれ思う事や考える事が出てきます。そのような事は、生きている間にずってやっていて、頭の中にも色んなものがたくさんたまっていて、思考や言葉や記憶の断片があるわけです。
そのような断片は、断片としてそこにありつつも、新たな事象が日常の中で現れると、それらと結びついて、新たに色んな事を思い、考え、想像するわけです。
それは、人間にとって自然であり、強く意識していなくても、やってしまうわけです。
想像する事は、その意味で自然な行為です。
むしろ、自然な行為として想像したいわけで、想像せずにはいれないわけで、想像の行為が自由で心地良いわけです。
脳にとって、想像は快適さをもたらす行為です。
ですが、人間は、もう一歩、それを形にする事もするわけです。想像という単なるイマジネーションから、クリエーションという創造に展開するわけです。
想像は、頭の中の空間での自由な活動であり、自由な行為であり、そして、想像されたものは放っておけば雲のように掴めず、消えていってしまいます。
想像しては消えていくんです。
ですが、それでは勿体ないから、形あるものとして、創造するんです。
人間は何かを見ては、それに想いを巡らし、頭を悩まし、考えます。そして、想像します。そこまでは、自然な行為で、苦も無くやってしまうわけですが、そこで留まらず、形にする努力をするんです。
言葉は、その意味で、想像を形にした産物とも言えますが、言葉にする事で、分かりやすくなり、人にも伝えやすくなるわけです。
その意味で、言葉にする事は、創造する事です。
人に何かを伝える時、何かを分かってもらおうとする時、単に想像したものを想像したものに終わらせずに、創造して、形にするわけです。
形にすると、人はそれを見て、それを受け取る事が出来るわけです。その為に、創造する事は重要です。
想像と創造の対比は、表出と表現の対比と似ています。
創造は、面倒くさく、煩わしく、努力が確かに必要です。
ですが、創造によって明確化されたり、定義づけられたり、定式化されたりすると、人はそれを受け取りやすく、分かりやすく、そして、それをまた、その人の想像の断片として使いやすくなるわけです。
人は想像が快適であると同時に、創造が人に想像という快適さを与えるわけです。
そういうわけで、人は、想像する事が好きで、自由で、心地良く、自然にやってしまう行為であるわけですが、想像を想像で終わらせずに、面倒くさくても、努力をして、創造する事で明確にするんです。
その事によって、人に伝わり、人に分かってもらえ、受け取ってもらえるわけです。