自分と対話するというのは案外難しいと感じます。自分と向き合って自分と対話しているように見えて、実は人との比較ばかりをして、あるいは人の事を話していて、その事を通して自分の事について話をしているつもりになって、もはや、自分の事について話していない、という事がほとんどであるわけです。
気が付いたら、自分だけの事に集中して考えているかというとそうではなくて、本当に、他の人との比較や、人が羨ましいとか、自分は損しているとかになってしまって、比較の世界から離れて、自分の事だけに集中するのが難しいわけです。
自己受容とは簡単に言いますが、なかなかに、すんなりと自分の事を受け入れようとしているかというと、人との比較を通して良いとか悪いとか、そんな風に考えてしまうわけです。そもそも、考え方の癖というか、パターンが、適切に考える事を妨げているわけです。
心に余裕が無く、焦っていると、自分と向き合う事なんて事は容易ではなく、すぐに気が散るし、薄っぺらな部分しか見えないし、いつもの役に立たない言葉を自分に投げかけてしまうわけです。
心の落ち着いた時間を準備する事がそもそも難しいわけです。心に余裕が無く、焦っている時間というのは、本当の意味で「時間が有る」とは言えないわけで、時間は無いわけです。
その意味で、真に時間が有るという状態を作り出す事が何より大切で、そのような状態を作り出してはじめて、自分と向き合う事が可能になり、自分を受け入れる事が可能になるわけです。
時間が有るというのは、そういう事であって、そのような時間が人には必要なんです。そうでないと、いつも比較をして、自分と自分でないものとを区別できず、自分に対して役に立つ適切な思考パターン、また、言葉が投げかけられないのです。
そもそも、そのような時間を準備してあげなければ、自分の感情を知る事が出来ません。感情の変化に気付けません。感情が自分自身の何かを掴む重要なサインとなるわけですから、自分の感情が感じられるような状態を作り出す事が基礎として重要なんです。
自分と向き合い、自分の感情が分かる、そんな状態の時間をいかに作るか、この事がとても重要で、そのような時間の中ではじめて、自分と向き合い、自分と対話し、そして、自分を受け入れられるわけです。
本当に、世の中の事は関係ないし、他の人の事は関係ないんです。比較する必要もないし、あるがままの自分でいいんです。そのような自分と対話して、真に自分が何かを感じているのか、それを感じ取る事です。言葉はそのような対話になるように適切に使うべきです。その為にも、時間が有るという事が重要なんです