毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

過剰適応の中で、自由で快適な時空間の土台を作る。

現代社会は、前提として社会に適応する事を求められがちですから、どうしたって、快適な空間が必要だと感じます。

自分にとっての快適な時間や空間はどういったものか。よく知る事は重要です。

自分にとってリラックスできる空間で、そこでは自由を感じられ、自由に考えを巡らす事が出来るような、そんな空間です。それが、家なのか、自然のある場所なのか、喫茶店なのか、ウォーキング中なのか、車の中なのか、人によって様々だと思いますが、自分にとって気を抜ける快適な空間が何かを知っている事を重要です。

また、その場所に居るときは自由を感じられる、そういう時間を持つ事も大切です。生活の中の切り取られた自分だけの時間を持っていると、それだけでかなり自由を感じられます。

人はそのような自由を感じられる時間や空間が必要なんです。

過剰適応になりがちな現代社会においては、どうしても、自分だけの自由な快適な空間を確保するんです。ほとんどの時間は、適応のために使っているわけですから。

ただ、どうしても、全ての時間を快適に過ごす事は難しいかもしれません。

ですから、1日の中でも、少しの時間だけでも、自由で快適に過ごせる空間があると、それだけでも全然違うわけです。

1週間のうちに、1日でも、そのような時間を持つ事が重要です。

そして、その時空間では、自分を取り戻し、自分らしく過ごせる事が大切です。

適応してばかりの日常の中に、少しの自由で快適な時空間を持つ。それが、自分を回復させて自分を取り戻し、そして、生きていく為の土台となるわけです。

そのような土台の上で、自分が本当に何をしたいのか、自分が本当に何を望んでいるのか、そういった事をやっていくんです。

自分だけの自由で快適な時空間の土台が整っていない状態で、過剰適応のままでは、自分が真に求めている事は見つかりません。

考える事も、想像する事も、容易にはできません。過剰適応で余裕がありませんから、当然と言えば当然です。

まずは、そのような土台を作るんです。自分にとっての快適な時間、快適な空間です。きっとあるはずです。過去に、短い時間でも、きっとあったはずです。ちょっとした空間もあったはずです。

それを思い出す事が出来れば、その時空間は、自由で快適な時空間である可能性があります。

1日のうちに、ほんのひとときだけでも、無いよりは全然違います。その時空間を大切にするんです。それが土台となり、出発点となり、自分が真に望んでいる事を見つける事が出来るわけです。