毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分とともに、いつまでもジャーナリングを続ける。

自分と向き合って自分の事を知りたい時はジャーナリング

自分の事は、意外と分からないもので、ジャーナリングを進めていくうちに、少しずつ言葉になって、気が付いたら自分の何かが分かっている。ジャーナリングとはそういうものです。

でも、さらにジャーナリングを続けていくうちに、新たな自分がまた見つかる。以前に、自分を十分発見したと思っていたのに、ジャーナリングを進めれば進めるほど、新たな自分が出てくるわけです。

自分というのは、分かったようで、いつまで経っても分からない、謎な存在。

まるで、ジャーナリングを続ける事によって新たな自分が形成されていくような感じすらするわけです。

確かに、ジャーナリングによって今まで知らなかった自分を知る事が出来るわけですが、一方で、今までになかった自分自身を、ジャーナリングが開拓して作っていくようなこともあるわけです。

言葉が自分を作っていく。そういう事もきっとあるんだと思います。

その意味では、ジャーナリングはやっても終わりがありません。いつまででも、自分と向き合えるし、ジャーナリングによる自分との関係は、どんどん変わっていくわけです。

以前までは無かった自分が、今は居るわけで、その新しい自分と、またジャーナリングを通して会話して、また新しくなる。

絶え間なく変化していく自分。

そんな自分と付き合いながら、それでも、まだ知らなかった自分を知ったり、理解したりして、一体自分はどんなだったか、そして、これからどんな感じになっていくのか、よく分からないわけです。

その意味で、自分という明確な自分はいつだってまるでいないようで、いつまでも子供のような自分を知ったり、いつの間にか言葉とともに成長して大人になった自分と出会ったりするわけです。

それでも、ジャーナリングはいつまでも続けられるわけで、知っても知っても知り尽くせない自分とともに、でも、変わらない部分はあったりもして、そんな自分と対話しながら、新しい自分が付け足されていって、いつも新鮮な自分と出会うわけです。

昨日までの自分と、今日の自分と、いつもジャーナリングとともに対話して、自分と向き合って自分を知る。昨日も新たに知ったし、今日もさらに新たに知る。

それでも、きっと明日はまた自分の知らない自分と出会うわけで、同時に、新しい自分を開拓していくわけです。これから先も、ジャーナリングとともに、自分と向き合い対話する。自分との終わらない旅。