毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

あるがままの自分で良い。幸せは自己受容の土台を上にある。

幸せになりたいというのは誰もが思う事ですが、どうやったら幸せになれるのかが分からない、そういう状態に陥るわけです。

そもそも、幸せにどうやったらなれるのかなんて明確には分からないし、人によって幸せのなり方も違うわけです。

「あの人があのようにして幸せになっているから、自分もそのようにやってみよう」そう思ってやってみても、同じように幸せにはなれないわけです。

人と自分は違うわけですから、幸せのなり方も人によって違うわけです。

その意味で、自分自身が幸せになれるかなれないかは、自分自身にかかっていると言えるわけです。

何を獲得しても、何を達成しても、幸せになれない人は幸せになれないし、何も大して獲得してなくても達成できなくても、幸せになれる人はなれるわけです。要は、その人次第という事です。

幸せになる重要な事の1つは、あるがままの自分で良いと思う事です。

自分の幸せは自分次第であるわけですから、自分自身がこれで良い、と思えれば、それで幸せになれるわけです。

自分自身がこれで良くないと思うから幸せになれないわけですから、自分がこれで良いと納得できれば、幸せになれるわけです。

人は完璧ではないし、ダメなところはたくさんありますから、他の人と比較していれば、必ず人より劣っている事は見つかるわけで、少なくとも、人との比較で幸せになろうとしても、幸せにはなれないわけです。

その意味で、幸せは、人との比較ではもたらされないわけです。

そうではなくて、幸せは自分自身のうちにあるわけです。その意味で、心の在り方、心の置き所で決まってくるわけで、自分自身でこれでいいと納得できれば、それが幸せをもたらせてくれるわけです。

そうなると、大事な事は、自分自身をそのまま受け入れる、ありのままの自分を受け入れる、そういう事になります。

良いところも悪いところもあるけど、それも全部認めて受け入れる。それが、幸せになる出発点という事になります。

自己受容は、その意味で、幸せになるための土台となります。逆に言えば、あるがままの自分を受け入れられないから、常に自分以外の何者かにならないといけないわけで、自分以外の何者かになる事によって幸せになれると思ってしまうわけです。

それは、あるがままの自分では幸せになれない、と信じているわけですから、今の自分は幸せではない、と信じている事でもあるわけです。その時点で、すでに、幸せではないわけです。

ずっと、幸せは自分の外側にあって、自分から離れたところにあるわけですから、自分自身が変わっても幸せにはなれないわけで、ずっと幸せを追いかける事になり、そして、ずっと幸せにはなれないわけです。

ですから、むしろ、あるがままの自分を認めて受け入れる事です。そうすると、感覚的には、幸せが自分の内側に入ってくるわけです。幸せは自分に近づいてくるわけです。

そのような状態になってはじめて、自分自身で自分自身を幸せにしようと、実質的に思えるわけです。

幸せは、自己受容という土台の上にあるという事です。