毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

結局、日々やっている事の中の小さな楽しみが大切。

よく言われるのは、今この瞬間が大切、というものですが、今というリアルタイムな瞬間とまで言わなくても、今日という1日、が大切であるわけです。毎日やって来る今日という1日の中に、楽しみや喜びがあって、そういった事が大切にするという事です。

人はどこかで、過剰な期待をしてしまうわけですが、たまに凄く良い事が起こるかもしれませんが、あくまでそれはたまに起こるのであって、日々は何気ない1日で構成されているわけです。

過剰でなければ、良い事は日々起こっているんです。起こっていないとすれば、それは、いつも過剰さを期待し、そして、ちょっとした楽しみや喜びを軽視しているんです。

結局は、今のこの瞬間、あるいは、今日という1日の中で、人は生きていて、そのプロセスの中にいるわけですから、そのプロセスの中で、楽しいとか、嬉しいとか、面白いとか、そのような感情的なフィードバックを感じながら、それで満たされて生きているんです。

そうであるなら、大切な事は、そのような日々の中の小さな楽しみを気付いたり、発見したりする事です。

いかように、他人が凄い事をやっているように見えても、実際の中身は、あるいは、日々の事、1日の中のプロセスは普通のプロセスであって、過剰さはなく、そこに、過剰さのない喜びや楽しみ、面白さ、があるんです。

結局、日々の小さな楽しみを過剰さなく楽しんで、そのようにしていたら、結果として、凄い事になったりするんです。ただ、凄い事なんていうのは、他人が決めたり、感情的に過剰に高ぶっていてただそう感じたりしているのであって、でも、それは一瞬そう感じたりして、結局は、ただそのプロセスにあるんです。

日々のやっている事を通して、プロセスとともに、楽しみとか喜びとか、そういった事とともにあるんです。

日々やっている事が時間とともに実って、大きな成果や結果につながるかもしれません。それでも、結局は、常にそのプロセスの中にあって、今日という1日の中にあって、つまり、今この瞬間、過剰さの無い楽しみや喜びの中のあるという事です。

だから、何をやるにも過剰さは必要ないんです。凄い事である必要はないんです。そんな事に囚われていると、精神は乱れ、落ち着かず、喜びにも楽しさにも気付かず、ずっと渇望状態です。

そうではなくて、日々の中の事を大切にするんです。日々、やっている事の中の、小さな楽しみ、小さな喜び、を大切にするんです。