毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分が見出した価値を追求する。

人は何かをするわけですが、その「する事」に、実質的に価値があるとかないとか、それは分かりませんが、自分なりの価値をいかに見出し、いかに追求していくか。そういう事が大切だと思います。

それは、する事を通して出来上がったものであり、為された事であり、また、する事そのもののプロセスであるわけで、そういった事に価値を見出すわけです。

その価値を価値あるものと決めるのは、確かに自分の気持ちであり、感情であるわけです。そして、想いであるわけです。

その意味で、そのようにして見出された価値は、自分の生き方を形作るのであり、自分の生きる意味の一部となるであり、自分の生きる意味を支えるわけです。

つまり、作られたもの、行った事、作るプロセス、行うプロセスに対して、いかに価値を見出すか、そして、見出した価値を追求していくか、そういう事が大切なんだと思います。

逆に言えば、そこに、自分なりの価値を見出せなければ、それはおそらく続けられないだろうし、当然、価値あるものにはならないわけです。

もしかしたら、自分以外の誰かが価値を見出すかもしれませんが、それはあくまで自分以外の誰かが見出してくれた価値であって、やはり、それをしている自分こそが、自分なりに価値を見出していく事が重要だと思います。

その意味で、そもそも、人間がする事は何であれ、潜在的に、価値があるわけですが、出来れば、それに価値としての肉付けがされ、形あるものにされることが、潜在的価値を高める事になるかもしれないわけです。

人間の持つ感情や気持ちは、そのような価値を支える、あるいは、与える重要な構成要素ですが、それは、人間の感情や気持ちがそのように自分自身を動かす原動力として作用するのであって、また、作用させる事で自分が生きる事を可能にするわけです。

そのように考えると、人間がする事を価値あるものとして支え、また、価値を与えるものが自分自身の感情や気持ちであるわけです。

そして、する事そのものとしてのプロセスや行われた事、作り上げられたものの中身は、自分自身の感情や気持ちが込められ、練り込まれ、注がれていて、それが価値あるものとして醸成されるわけで、確かにそれが価値あるものであると分かるのは、自分自身に他ならないわけです。

そして、そのようにして自ら見出した価値を、継続的に、自分自身でさらにその価値を追求する。そのような事を通して、より価値が明確に高められていくわけです。