自分自身は、一体何者なんだろうか。
別に、他の人が皆、自分自身が何者なのかは分かっていないもしれませんが、それでも、何者であるように見えるわけで、そうすると、自分自身も何者かではあるわけです。ですが、それが一体何なのか、よく分からないわけです。
確かに、人は他の人を見て、客観的に何者であるかを認めているわけで、それと同じく、自分自身も何者であるかと認められてもいいわけです。
ですが、では、自分自身はその何者かと認められたいのかというと、そういうわけでもなく、特にそのような役割を果たしたいとか期待に応えたいとか、そういう風には思っていないわけです。
それより、自分自身こそが、自分は何者なのか気にしているのであって、何者かになりたいわけです。
ただ、それが何なのか、分からないわけです。
そして、それは、単に、社会的な立場とか役割とか、職業とか、そういった者になりたいというわけでもないんです。
自分自身が納得のいく、何者かになりたいわけです。
そういう意味では、具体的な何者かというより、もっと抽象的な何者か、なのかもしれません。
もちろん、自分が何者かになる事を強制されたくはないんです。自分以外の何かに勝手に決められたいわけではないんです。自分で決めたいんです。自分で納得したいんです。
そして、自分自身、仮にその何者かが分かって、それになれたとしても、すぐにそれでは納得いかなくなるんだと思います。
すぐにその何者かになれるようでは、きっと自分は納得しないんです。むしろ、すぐにそうなれそうにない、何者かになりたいんだと思います。
それは、他の人と決して同じではない、自分だけの何者かです。自分だけが望んでいて、自分だけが納得できる、そういう何者かです。
それは、他の誰かが説明できるようなものではなく、自分だけが説明できる、そのような何者かです。
結局、その何者かというのは、自分自身だという事です。自分自身になるという事です。ただ、自分自身が何者かが分からないという事です。
何か凄く求めていて、切望しているわけですが、一方で、今の自分ではないわけで、今の自分を乗り越え、自分を超越しているような、そんな何者かです。
それをずっと追いかけているんです。そのように自分を何者かにならせようとし、でも、容易にはそれに納得せず、そして、自分を越え出た、何者かです。
その何者かがどのような者なのかは分かりませんが、そのような自分になるんです。それが、いずれ自分が到達する自分自身なんです。