ジャーナリングでは、自分が今感じている事を、思っている事、考えている事を言葉にしていく行為です。
言葉として書こうとしてみなければ、案外、それらの感情や思い、考えはそのまま無意識に流れていって、自分自身気付かないままです。ですが、それらを言葉として書き取っていくと、自分自身のそれらを知る事が出来るわけです。
その行為は、自分自身の内面と向き合う行為とも言えます。自分の言葉を通して、自分の内面と向き合うわけです。もう一人の自分がそこに居るような感じです。
内面に居る自分と向き合いながら、自分の言葉を通して自分を知り、自分を認め、理解するわけです。
また、ジャーナリングを通して、自分と向き合いながら、内面を作り出してもいるわけです。内面の世界が創造されていくわけです。
それ以前には無かった世界が、内面の、もう一人の自分と向き合い続けていく事で、新たに作り出されていくわけです。開拓され、開発されていくわけです。
言葉は言語化することであり、見える化する事であり、明確にする事であるわけですから、内面世界がより明確に作り出されていくわけです。
言い換えれば、内面世界としてのもう一人の自分を、自分の内側に作り出していくようなものです。
内面世界を作る事で、自分の感情にもよく気付き、知る事が出来るし、また、自分の考えも深め、発展させる事も出来ます。言葉を使った内面の自分との対話で、内面世界を充実させていくわけです。
内面世界は、また、感情に振り回される自分とのバッファーにもなるわけです。内面世界の自分が、自分が感じる感情を、良い感じでバッファーとして機能し、感情と自分を上手く距離をとってくれるわけです。
自分の感情を上手く自分で取り扱えるようになれば、生きた心地を取り戻し、心地良く、そして、快適な時間を持つ事が出来るわけです。
同時に、内面世界は心地良く、快適で、その世界こそが解放された、広い空間でもあるわけです。
快適な空間は、快適な時間を持つ事であり、自由な広がりがそこにあるわけです。
ジャーナリングは内面世界を作り出します。思うままに書き出す言葉が、内面世界を押し広げます。開拓され、充実させます。
そして、内面世界のもう一人の自分とともに対話し、自分と向き合い、自分の感情の取り扱いを学ぶわけです。同時に、そこに心地良い、快適な空間が作り出されるわけです。
それは生きた時間であり、幸せな時間であり、空間でもあるわけです。