日々、何気ない事で不安を感じるのが人間であって、それはごく自然な事ではありますが、でも、あまりに不安ばかり感じていると生きづらいわけです。
ジャーナリングは、自分が思う事を思うままに書いていいから、とても良いわけです。何の制限もなく、何の批判もなく、自由に書くわけです。自由に書いていいわけです。
誰からの批判もなく、何も批判される事のない言葉をただそのまま書いていくわけです。
書かれていく文字、言葉は、そのまま自分が見ているわけだから、というか、自分だけが見ているわけで、見ている自分が批判なくそのまま見ている限り、誰からの批判もなく自由に言葉を書いているという事になるわけです。
誰からも批判されることなく、言葉を口にし、言葉を吐き出していく。そしてそれは肯定されるわけです。
つまり、その行為は、自己肯定感につながるわけです。
いつも否定される事を、どこか恐れているわけだから、否定されずに思っている事をそのまま言葉に出来るなら、それは、肯定感につながるという事です。
同時に、書いている言葉を、そのまま見て、そして、そのまま認めているわけでもあります。
他の誰も見ていなくて、自分だけがその文章を見ていて、そのまま受け取って、書かれていく事を認めているわけだから、その事が受容されていると感じるわけです。
思うままに吐き出された言葉は、恐れや不安の入り混じった言葉でもあるわけで、それをそのまま、自分だけが、でも、自分でそれで受容するわけですから、当然自己受容につながるわけです。
そのようにして、恐れや不安感を下げ、あるがままをそのまま晒す。自分に対してだけど、あるがままの自分を晒す。それが、ホッとするわけです。
自分を自分にそのまま晒すのは、ジャーナリングの良いところであり、普段の生活では気付けない自分自身を知る機会になるわけです。自分自身がどう感じているのかを知る機会になるわけです。
自分がどのように感じているのか、感情をより知る事が出来れば、感じている事に対して自分で対処しやすくなります。
不安や恐れはいつも感じていますが、その事にも気付いていないから、居心地が悪く、でも、それをより気付いて分かるようになれば、不安に対処しやすくなり、また、不安を感じている事を肯定し、受容するわけですから、心が楽になるわけです。
それは、心地良さを確かにもたらすし、快適さももたらされます。
ジャーナリングの時間は、心地良い時間であり、快適な時間であるわけです。