人間は、自分自身の営みを続けている生き物である事を踏まえると、自分自身にとっての人生とは、まさに自分の営みであって、その営みの中に人生はあるという事です。
その意味で、人生とは自分自身の営みとして主観的に彩られているわけです。
それは、人間が主観的な生き物であるからこそであり、また、それは人間が主観的な世界を生きているという事も意味しています。
言い換えると、人は内面を持ち、自分の内面世界を生きているとも言えます。常に、自分と向き合い、自分と対話し、自分とつながる。そのような営みも、自分の内面世界に自分が住んでいるという事であり、内面世界の充実が重要であるという事です。
もちろん人は内面の世界だけに閉じているわけでもなく、この世の中や社会、周りにいる人々と関わり合い、ともに生きているわけで、それによって自分自身も支えられ、今の自分が身体とともにあるわけです。
そのような社会性が確かに自分自身を形成し、支えるとともに、自分の内面世界も支えるわけです。
同時に、自分の中の内面世界が、自分自身をいわゆる、外の世界との関わりを可能にするわけです。内面により形成された自分自身が、自分以外の他者や世界とともに生きる事を可能にするわけです。
その意味で、外の世界と内面の世界は、まるで表と裏のようにつながっていて、関わりあっています。主観性は人間特有のものであって、その世界をつないでいて、彩る人生も内面世界の充実も、自分自身の営みとともにあるわけです。
自分の人生は、どのような道筋を辿るか分からず、どのようなゴールかも分からず、でも、常に自分のそばにあって、その中に自分は居続けているわけです。
まさに、その意味で人生は、自分自身の営みであって、主観的な生き物である人間だからこその、言うまでもない当然の事であるようで、実は不思議な事でもある、そのようなものであるわけです。
いつだって人生は変えられるように、自分自身の営みもいつだって変えられます。人生のあらゆる経験は、自分自身の営みに影響を与えるし、自分の考えている事、感じている事は、まさに自分自身の営みを支えているし、同様に自分の人生を支えているわけです。
心地良さや快適さ、自由、喜び、充実、幸せは、人生のうちにあって、そして、自分自身の営みのうちにあるわけです。身体的な事も、習慣的な事も、生活上の事、暮らしの中の事、今自分が生きているという事を支えているすべては、人生のうちであり、自分自身の営みの活動とともにあるという事です。