人は、根源的に、自分の営みが好きな生き物です。何か自分自身を作ろうとする営みであるわけです。
自分の営みは、常に発展可能性があります。色んな事を考え、色んな事を実践し、行動し、活動するわけです。そして、自分自身成長し、自分自身変化していくわけです。これも、自分自身の営みのうちなのです。
まるで、自分の家を建ててそこで暮らすように、自分自身を営んでいるわけです。自分自身を自らで作る主観的な自分という家でありながらも、自分を営み続けるわけです。
もちろん、自分自身には、生活があります。暮らしがあります。その中で生きているわけで、つまり、それは自分自身の営みであるわけです。すべての生活が、すべての暮らしが、自分自身の営みを成り立たせているわけです。
自分自身は、生き物であるわけですから、営みは、生き物としては必然であり、生命を維持する為にも、営みは欠かせないわけです。
同時に、社会的な人間としての営みも、根源的な営みであるわけです。
自分自身を成長させ、自分自身を発展させ、時には修正し、改善して、刷新するわけです。
自己を変革し、進化させるわけです。それも、自分自身の営みのうちであり、進化していく自分をどこかで楽しんでいるわけです。
営み自身は楽しい活動で、楽しい生活であるわけですから、当然続けるわけです。
あらゆる体験、あらゆる経験が、自分自身を作ります。あらゆる経験は学習であり、変容であるわけです。そして、それは営みのうちであり、自己変容していく事を常に求めているわけです。自分の営みの醍醐味とも言えます。
生活や暮らしは実質的な営みであり、社会との関わりは営みの一部であり、仕事をしたり人と関わったりするのも営みの一部であり、お金や経済に関する事も営みの一部であり、それらも含めてすべてが、要は自分自身の営みであるわけです。
それは、生命であるからこその営みであり、動物であるからこその営みであり、社会的生き物であるからこその営みであり、主体的、また、主観的だからこその自己の営み、つまり、人間であるからこその営みであるわけです。
その絶え間ない営みは、自己を成長させ、自己を実現させ、自己を理解させ、自己を変革させるわけです。そして、今ある自己を超越し、新たな自分に進化させていくわけです。
新しい自分はいつも根源的に、また、本能として求めていて、それが自らの営みの活動を支えているわけです。自分の命がついえるその瞬間まで、人は自分自身の営みを続けるわけです。