幸せは感情であり、感じる事で幸せになるのであり、同様に、不幸も感情であり、感じる事で不幸になるわけです。
その意味で、幸せも感じる事であり、不幸も感じる事で、別の種類の感情というわけです。
厳密に考えれば、幸せではないから、または、幸せだと感じられないから不幸であるというわけではなく、ただ不幸だと感じられるから不幸であるわけです。
不幸だと感じられる結果として、幸せだと感じられないのであって、直接的に、幸せではないという感情を感じているわけではないわけです。
幸せだと感じる事は幸せという感情に基づくのであり、幸せだと感じない事は幸せという感情に基づいていないのであり、ただ単に、幸せだと感じていないだけです。
そして、だからと言って、別に不幸だと感じているわけでもないわけです。
一方で、不幸は不幸だと感じているから不幸なのであって、不幸だと感じていないから幸せだというわけではなく、不幸だと感じていないなら、単に不幸ではないというだけです。
そういうわけで、幸せはあくまで幸せという感情であり、不幸はそれとは別種の不幸という感情であるわけです。
ただ、感情は、一般に、ポジティブなものよりネガティブなものの方が強いですから、ネガティブな感情が生じると、ポジティブな感情はそれに妨げられやすいわけです。
それと同様に、幸せは、不幸によって妨げられやすいわけです。不幸の感情はネガティブに強いですから、不幸の感情に自分の感情全体が覆い尽くされてしまいますから、これによって幸せは妨げられるわけです。
太陽が、空の上で、黒い雨雲に覆い尽くされてしまうように、自分の感情全体が雲のように不幸で覆い尽くされてしまい、幸せが隠れてしまうという事です。
ですが、幸せが無いわけではありません。幸せの種は無いわけではありません。単に今、不幸という雲に覆われて、隠れて見えないだけです。
ですから、幸せを感じられるように、不幸の雲を取り除く事も有効であるわけです。毎日不幸のどんより雲だと幸せは感じられにくいわけですから、どんより雲を取り払うという事です。
幸せではない、また、幸せを感じられない原因は、不幸である原因とは全然違うわけですから、いかに不幸を取り除くか、そのような事を考える事も、幸せになるためには重要です。
案外、すでに幸せの種はいっぱいあって、すでに幸せはそばにあるのかもしれません。ただそれ以上に不幸の感情があって、それに覆い尽くされているだけかもしれません。
でも、不幸の雲は取り除く事で、幸せは太陽のように顔をのぞかせてくれるかもしれません。