幸せとは当たり前のものとしてあるものではなく、感じる事で幸せになるもの。だから、客観的にいくら幸せそうでも、自分自身に幸せを感じとれる力が備わっていなければ、幸せになれないわけです。
人間の感じる力には、様々な種類のものがあって、幸せという感情もその1つであり、幸せという感情の実際的な中身は、人それぞれで違うものです。他の人との比較にしようがありませんが、逆に言えば、みんなの幸せの感情が全く同じとは考えられません。
確かに、感情は自然に備わっているものや、自然に身につけたものもあります。ですが、身につけていない感情もあります。でも、身につけていないからと言って、これから、身につけられないとは限りません。
人間は学習する生き物ですから、習慣によって身につける事は出来るわけです。それは、感情も同じです。
そして、実は、感情は気付かないといけないものかもしれません。感情体験としては、身体のうちに感じているのに、ただ自分が鈍感になって、また、余裕が無くて、気が付いていないのかもしれません。
自分の心がどのように動いているのか、反応しているのか、注意深く気付く必要があるかもしれません。また、心に余裕を作って、気付くようにするべきかもしれません。
そのような意味で、感じる力は、学習し、習慣として身につけるものであるわけです。それは、習慣として感じる事を自分の身体に身につけさせることであり、備えさせる事であり、それは端的に言うなら、感じる力を自ら作り出すという事です。
それが習慣化であり、学習であり、生物としての行動の変容という事です。
そして、幸せも同じです。
幸せは感じる事ではじめて幸せなのであり、幸せを感じるという事を自ら作り出すという事です。
他の人と、幸せの感情は比較できませんが、幸せの感情は主観的なものであり、自分だけの幸せの感情を作り出すんです。
幸せを作り出せたなら、もしかしたら、ちょっとした事で幸せを感じられるかもしれません。
大金持ちにならないと幸せになれないわけではなく、小さな事で幸せを感じられるかもしれません。
誰が見ても分かりやすい劇的な事でしか、幸せを感じられないわけではありません。幸せに大きい小さいは関係なく、むしろ、大きくても感じられない人もいれば、小さくても感じられる人はいるという事です。
そうであるならば、たとえ小さくても、幸せを感じられる方が良いわけです。そして、自ら幸せを感じる力を身につける方が良いわけです。
幸せを、自ら作り出すんです。