気付く力は幸せをもたらす重要な力であり、日々の中でその力を発揮する事が大切であるわけです。
日々は、些細な事の連続であり、変わらぬ日常であり、でもそこに気付きの力が発揮されると、些細な事ではない驚きの日々となり、同じ事が繰り返される事の無い変化に富む日々となるわけです。
それは、豊かさと幸せをもたらすわけです。
笑いも、その意味で同様です。
笑いなんてものは、日々の中に溢れているわけで、どのような事からでも、笑いの種は見出されるわけです。
笑いは緊張を緩和する力があり、張り詰めた神経を緩ませ、安心をもたらすわけです。
そして、それは、気付く力と合わさると、どのような状況でも、どのような場面でも、幸せや安心を作り出せるわけです。
人間はいつでも笑う準備が出来ているわけですから、何かきっかけがあれば、すぐに緊張は解かれます。
いつだって緊張は解き放たれる準備をしているわけで、その準備は笑いが潜在的に行っているわけです。
笑い自体は、一方で、確かに、容易に見つけ出せるものではなく、分かりやすい笑いは笑いとしては不十分と言えるわけです。
笑いは、些細なところにあり、微妙なずれにあり、ちょっとした「間(ま)」にあるわけです。
ですが、そのようなちょっとしたところ、ずれ、間は、日常の中に必ずあるわけで、それをいかに見出されるか、この事にかかっています。
気付く力は、このようなちょっとした事に発揮されるべきであり、日常の中から見出したならば、即座に笑いは発動するわけです。そして、緩和を伴って、安心と幸せを引き起こすわけです。
その意味で、日々は、波乱に満ちている必要もなく、いっけん平坦に見えるものでも問題なく、必要なのは、気付く力であり、そして、どのような隙間から笑いの種を拾い上げるかです。
確かに、緊張は、人間の自然であり、生存本能であり、それによって確かに生きていて、結果として、不安とストレスと苦しみとともにあるわけです。
ですが、緊張は、緩和とともにあって、緩和されるべきものであって、緩和は、笑いによって引き起こされる事をいつでも待っているわけです。
アプリオリに笑いを備えた人間は、日々の中で、いつでも笑う準備をしていて、気づきがそれを発動させるわけです。緩和とともに緊張が解き放たれ、不安やストレスが軽減し、安心感と幸せがもたらされるわけです。
それは、人間が備えた能力であり、いつでも発揮されるように、また、発揮されるべきものとしてあるわけです。