自分の確かな考えは、一体何なのか。分からなくなる時があります。
昨日はあのように考えたが、今日はこのように考えていて、考えている事がころころ変わってしまう。一体、自分にとっての確かな考えとは何なのか。よく分からないわけです。
考えるという事は、頭の中の自由な行為であり、神経細胞の可塑性とともに、色んな事を自由に柔軟に考えられるわけです。
ああでもない、こうでもないと、ありとあらゆる事を考えては悩み、そうしていくうちに、何らかの考えを得るわけです。
ですが、自分が考えている事があっちこっちに行って安定しないと、自分の考えている事が当てにならず、自分の軸が定まらないわけです。
そして、生きていく事も定まらないわけです。
その意味で、自分にとっての確かな考えというものが必要になります。
確かに、自分の考えというものは、生きていると変わります。でも、変わらない確かな考えというものもあります。
ですから、自分自身の確かな考えを知るためにも、ジャーナリングをしていくんです。
言葉を書き記していく事によって、自分の考えは言葉で表現され、ノートに書き写されていきます。
言葉としてノートに考えを刻印していくと、その考えはより自分の中に確かなものとして刻まれます。
一方で、状況や環境が変われば、また、書く事は変わります。変わった言葉は、自分の考えも変えていきます。
そのように、紆余曲折しながらも、自分の書き綴っていく言葉は、少しずつ自分の中に沈殿していきます。確かな考えとして沈殿していきます。
これはいわゆる習慣化の力ですが、ジャーナリングを続けていくうちに、自分の考えに基づく言葉は、ある時現れ、またある時に現れなくなって、それでも、時間をかけながら、少しずつ沈殿していくわけです。
それをジャーナリングとともに振り返っていく事によって、自分の何らかの考えが確かな考えである事に気が付きます。確かなものとして自分の中に沈殿しているという事が分かります。
それは、自分の心とつながり、自分の信念とともに確かな考えとして自分の中に沈殿し、固化するわけです。確かな考えは、自分の足場を固め、自分の生きる軸を確かなものにします。
確かにそれには時間がかかります。今日や明日で自分の考えが確かのものになるわけではありません。
ですが、ジャーナリングを習慣として継続していくうちに、少しずつ信念とともに自分の考えが沈殿していきます。それが自分自身の足場と生きる為の軸となってくれます。