ジャーナリングは、自己理解を助けてくれます。昨今、自己理解が重要と言われるようになって、ジャーナリングの重要性は益々高まっています。
人はなかなか自分の事が分かりません。分かっているようで、なかなか分かりません。
人間は言葉を使って理解する事が多いわけです。言葉は思考と強く結びついていて、物事を論理的に解体して理解する事を助けてくれます。現代では、言葉無しで物事を明らかにする事は困難です。
ですから、自分を理解する為に言葉を使う事は有効で、言葉によって自分を解体し、解体したものを視覚化して明確にする事で、理解を高めるわけです。
自問自答は、自分の理解を深める一つの方法ですが、ジャーナリングはそれを助けます。
問いを立てるのは、簡単なようで案外難しく、良い問いが立てられなければ、良い答えは得られず、自分の理解が正しく進みません。
ですが、良い問いを簡単に立てられないとは言っても、それで諦めずに、何度も問いを立てる事は出来るわけで、実際何度も問いを立てればいいんです。
ジャーナリングを行いながら、とことん、自分に対して問いを立ててみるんです。自分の言葉で自分なりに問いを立てて、そして、自分で答えていくんです。何度も何度も問いを立てては答えていくんです。
言葉が続く限り、問いはいくらでも立てられます。すぐに良い問いが立てられなくてもいいんです。繰り返し色んな角度から問いを立ててみて、それに対して自分の言葉で答えてみるんです。
そうしていくうちに、良い問いと良い答えが言葉として現れます。それが、自己理解を一歩進めます。
でも、それで終わりではありません。何度も言葉にしていくんです。
ジャーナリングは自分の手で言葉を紡ぎ出し、自分の目で自分の言葉を追っていきます。この一連の手と目の作業が、集中を深め、同時に、その集中がジャーナリングの遂行を容易にします。
自己理解は、容易には得られないものの、自分ととことんジャーナリングを通して対話していく事で、少しずつ理解が深まっていきます。
1つ自己理解が進むと、そこから見える景色は以前の景色とは変わります。一歩進んだ自己理解の地平線は、それ以前の地点では見えない地平線です。そして、その景色、また、その地平線は新鮮で、以前のものとは全く違うものです。
ですから、一歩先の地平線に到達する為にも、ジャーナリングを通して自分と向き合うんです。自問自答を繰り返して、自分ととことん対話するんです。自己理解は確かに深まります。