人間には欲というものがあって、それが苦しみの原因になるから、欲は良くないとされるわけですが、既に存在してしまっている自分の中の欲を、無いものにはできないわけです。
すでに欲はあるわけですから、それをいかように否定しようとも、無くならないわけです。風船を抑圧しても、その中にパンパンに満たしている空気が無くならないように、欲は無くならないわけです。
つまり、欲は在る。存在しているって事です。
欲は抑圧しても無くならないどころか、抑圧すると苦しみはかえって増すばかりであるわけだから、それだったら、欲は満たそうとした方が良いのではないかという事です。
一方の言説で、欲望は生きていく為には必要というものもあります。願いや望みも、言うなれば、欲望の言い方を変えた表現であって、それらを叶えようとする人生も、実際あるわけです。そして、実際に叶える事も出来て、幸せになる事もあるわけです。
そう考えると、欲は満たしてあげた方が、少なくとも、満たそうとしてあげた方が良いのではないか、そう思うわけです。
そもそも、自分の中の欲望の中身は何なのか、ちゃんと向き合っているのか。
あまりに、自分の欲を認識せず、満たそうともしていない、また、気にしていない、むしろ、無視している、そんな状態なのではないか、という事です。
自分の欲望も知らずに、一体自分をどのように満たしてあげるのか。それどころか、自分の欲望を無意識のレベルで、否定してはいないか、いけない事だと信じていないか、そういう事です。
過剰な欲は、確かにきりが無く、周りに迷惑をかけるどころか、自分を食いつぶしてしまいます。ですが、ちょっとした欲も認めていないのではないか。それでは、自分の夢も、望みも、願いも、何も無いわけです。
自分の思い込み、くせ、慣習、通念、色んなものによって、アプリオリの仕組みとして、欲望を抑圧して、否定している。自分の中の仕組みがそう仕向けているかもしれないわけです。
ですから、その前に、まずは、自分の欲望は何なのか、否定せずに聴いてみる。認めてみる。そして、その欲望は叶えてもいいのかどうなのか、考えてみる。その方が人間としては健全なのではないか、そういうわけです。
むしろ、自分の欲望を思いっきり満たそうとする事ではじめて、自分について見えてくるものもあるし、自分の欲とどう付き合っていくべきか、そのような事がまともに考えられるようにもなります。
ですから、自分の中に存在している欲を、まずは、認めてみる、として、知ってあげる。きっとそこから、自分が何をしたいのか、望みや願いは何なのか、具体的に考える事が出来るようになると思います。