毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人は新奇性を求めている。

言うまでもない事ですが、人は新奇性を求めています。いつも新しい事ばっかりだと大変と言えば大変ですが、でも、やっぱり、新しい事を求めてしまいます。どうしても必要なんです。

人間、新しい事がないと、言い換えると、ずっと同じ事だと、すぐにその状態に飽きてしまいます。退屈してしまいます。停滞感が、苦痛になってしまいます。ですから、どうしても、新しさが必要なんです。

とは言え、確かに、楽はしたいんです。面倒な事は嫌いだし、慣れない事をするのはきついんです。だから、変わらないという事も、求めてしまいます。

神経は、新しいシナプスを作り出すより、これまで形成してきた神経のネットワークが楽なんです。

ですが、それでも、やっぱり、そのままではダメで、新しいシナプス結合を求めてしまいます。その為には、新しい事、新しい体験、新しいアイデアが必要なんです。欲しいんです。

人間個人の事についてもそうですが、社会も新しさを求めています。

ビジネスにおいても、常に新しさが求められています。新しい商品やその為の新しいアイデア、それだけでなく、生産性、効率の為の新しい仕組み、とにかくあらゆるフェーズに新奇性が求められているわけです。

言い方を変えれば、とにかく新しさを常に導入し、刷新し続ける事が出来れば、ビジネスは上手くいき、継続し、発展し続けるわけです。

新しいとは、新しい創造であって、イノベーションです。イノベーションを起こし続ける事によって、経済は発展し続けるわけです。

トヨタカイゼンも、新奇性に他なりません。

考えてみれば、社会は人間から作られているわけですから、人間の性質が反映しているのは当たり前です。

人間が新奇性を求めているのであれば、人間の総体である人間社会も同じく、新奇性を求めているという事です。

新奇性が生まれなければ、社会は停滞し、衰退するわけで、人間も、新奇性が生まれなければ停滞して衰退するのは、当然の事です。死に至るという事です。

ですから、人間は、常に新奇性が必要なんです。生きる為に必要なんです。もちろんその事は、神経が説明しているわけで、神経が新奇性を求めているわけです。

そして、人間の延長である人間社会も、やはり同じく、新奇性を求めています。とにもかくにも、ちょっとした事でも、新奇性を求めているわけです。

新奇性が、生きていく為に必要なのであり、それは呼吸のようなもので、栄養のようなものです。人間の性質が、あるいは、仕組みが、新奇性によって営み続けるようになっているのです。