毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人が作り、やる事は全て、潜在的に価値がある。

何に価値があるのか、また、価値あるものとは何か、明確な事は分かりません。あらゆるものには価値があるとも言えます。ですが、価値が無いという事もあるわけで、それでも、何かには必ず価値があり、価値が付けられるわけです。

一見、価値が無いように思うものにも、明日側面においては、価値が見出されるかもしれません。あらゆるものは使いようで、上手く使えばそれは価値があるし、上手く使えなければそれは価値が無いわけです。たとえ、それが同じものだとしても、です。

そんな事はさておき、人は、気が付いたら、無意識に、価値あるものを求め、探し、そして、自ら作り出すわけです。

人間が作り出したものでなくても、自然にあるものの中に、価値あるものはたくさんあります。金や銀や銅は、自然の中にあるものですが、それ自体で価値があります。それ自体とは言え、価値は人間がつけるものではあるから、人間の使い方によって価値が与えられ、その価値も変動するわけです。その意味で、あらゆるものには、価値が潜在的にあるわけです。

そして、人はありとあらゆるものを作ってきました。価値のあるなしに関わらず、あらゆるものは作られ、作られることが試みられてきたわけです。

そして、昔に価値があったものは、今は価値が無く、一方で、昔価値が無かったものが、今は価値があるという事がよくあります。

その意味でも、価値は変動し、そして、価値は潜在的にあるわけです。

そのような理由があっても無くても、とにかく人は何かを作ろうとし、そして、作ってきたわけです。価値があろうがなかろうが、です。

あらゆる価値ある事をやってきたし、価値あるものを作ってきたわけです。

潜在的には、人間の作るものには、また、人間のやる事には、価値があるわけです。どんなものにもあるわけです。今全く無いように見えても、あるわけです。

自分がやっている事には価値があるのか。そんな事は分かりません。そして、今は無いのかもしれません。ですが、潜在的には、あるわけです。自分に、やっている事に価値がある事を信じていようがなかろうが、あるわけです。

同じように、自分が作っているものには価値があるのか。それは分かりませんし、今は無いのかもしれません。ですが、潜在的には、間違いなくあるわけです。自分が、それに価値がある事を信じていようがなかろうが、あるわけです。

ですから、そのような事を踏まえると、その事に価値があるのかないのか、自分がやっている事に価値があるのかないのか、そんな事を気にせずに、やる事には価値があるわけです。

それは、潜在的に価値があるからです。