想像する世界とは、自分自身が主観的に想像する世界の事であって、言い換えれば、今自分が生きているこの世界の事です。自分が生きている世界を完全に捉える事は誰にもできず、出来る事は、主観的に、自分なりに世界を捉えるという事です。この世界の事を、想像する世界と言っているわけです。
自分が想像する世界について、自分の中の全ての経験や知識、記憶を総動員して構築して、その世界を主観的に現実の世界だとして生きていくわけです。そして、そのような世界を、形にしたいし、構築したいわけです。
その為に、想像する世界を表現する為に、言葉として書き記していくわけです。ジャーナリングは、それを可能にします。
もちろん、色んな方法で、自分の想像する世界を表現できるわけですが、その1つとして、ジャーナリングがあるわけです。
自分自身がぼんやりと構築しているこの世界を、断片的でも言葉として記述していって、より明確に創造するわけです。
自分の中に、世界に対する理解や解釈の断片がたくさん眠っていて、言葉としてそれらを拾い上げていくわけです。そして、それをノートに向かって書き連ねていくわけです。
無意識の想像する世界を、言葉として表す事によって顕在化させていくわけです。一体自分は、どんな世界を生きているのか。そういう世界を表現するんです。
その意味で、人が生きているこの世界は、人の数だけある事になります。自分が経験した事や記憶した事、蓄積した知識は、自分だけのものです。ですから、それらから構築される世界は、唯一無二です。
ですから、その世界を、何らかの方法で描くんです。形として表現するんです。きっとその世界は独自性があって素晴らしく、形に出来たなら、それは他の人たちにも分け与えられ、新たな世界の構築にも役立ちます。
それを、ジャーナリングは可能にするんです。世界を描いてみせるんです。世界はきっと新しいし、他の誰も知らない世界だし、発展途上の世界です。
だから、言葉にして、言葉を書き連ねて、世界を創造して、そして、さらなる先の世界を開拓するんです。世界は常に書き換え可能であり、発展の余地があります。いつまでも、世界は進んでいくんです。
言葉はきっと止まりません。ずっと書き続けられます。想像する世界は、ずっと変化しているし、発展しているし、進化しています。自分の想像する、また、今自分が住んでいる世界、あるいは、生きている世界は、ジャーナリングとともに、ずっと構築され、開拓されます。
だから、自分の想像する世界を構築する為にジャーナリングをするんです。