毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

快適で自由な心を求めている。

人は快適さを求めています。身体的な快適さだけではなく、心の快適さを求めています。

 

頭の中の快適さと言ってもいいのかもしれません。ネガティブな感情に自分の頭が覆われてしまうと、それはとても苦しいわけで、そのような状態から解放されたいわけです。

 

その意味で、ポジティブな感情は大切です。いつも喜びを感じていたいし、楽しく感じていたいわけです。頭の中ももっと軽く、心も軽く、もっと自由でありたいわけです。

 

自分の事ばかりになっていると、それは自由から遠ざかってしまいます。自分の事にこだわり、自分に対する客観視を失うと、頭の快適さとは程遠い状態になってしまいます。

 

自分の事に強くこだわっている時というのは、案外人の事を凄く気にしていて、他の人と自分をすごく比較してしまっていたりします。

 

自分の事を考えているようで、むしろ自分の事をちゃんと考えていないわけです。

 

自分の事をより良く考える為には、自分に対する客観視が大切です。客観的に自分の事を見る事が大切です。

 

頭の中の自由、頭の中の快適さ、を感じられていない時というのは、自分の事を、もう一人の自分で遠くから観察してあげる事が足りないわけです。むしろ自己中心的になり過ぎていて、余裕が無く、人の事ばかり気にしているわけです。

 

それは、恐れている状態であり、不安な状態だという事です。

 

ですから、自分と距離をとって、自分を客観的に見る。観察する。眺めてみる。そういう事です。

 

自分がどのような気持ちであるかという事も、客観的に理解しようとしてみる。実は、より深い部分の感情の部分を見逃しているかもしれません。無意識に自分でふたをして、隠してしまっているかもしれません。

 

恥ずかしがっているのか、恥じているのか、恐れているのか、隠しているかもしれません。

 

ですが、実際には、恥ずかしくもなく、恥じる必要もなく、恐れる必要もないんです。自分の前では、自分は心を開いても大丈夫なんです。

 

自分をよく知る。自分の感情の奥底にあるものも、ちゃんと見る。認識する。理解する。そして、何でも受け入れてあげるんです。

 

そこに、自分を自由にするヒントが隠されているかもしれません。快適にする何かがあるかもしれません。それを明らかにするんです。解放してあげるんです。

 

そうすると、ようやく、自分が何かさらけ出して、自由になって、本当の自分の想いが見えてきます。本当の気持ちが感じられてきます。そうなったら、かなり心は自由で、かなり快適なはずです。