人は、基本的に色んな欲求を抱えていて、その欲求を上手く消化できず、何らかの形で発散しようとしてしまいます。自然な事なのでしょうがないですが、それも過剰だと良くないわけです。
例えば、スナック菓子や甘いお菓子です。「食べたい欲求」が止まらず、つい手が伸びるわけですが、食べても食べても止められないわけです。もはや中毒です。
食べたいという欲求が、報酬系を刺激して、その期待感だけでドーパミンが出てしまうわけです。そして、それを口にして、そして、また食べたいという欲求でドーパミンが出てしまうわけです。
それではきりが無く、ストレス発散を超えて、身体を悪くしてしまうわけです。
その欲望は留まる事を知らず、過剰さが問題になるわけです。
これと同じで、人には「喋りたい」欲求があるわけです。とにかく、喋りたい、そして、聞いてもらいたい、その、引っ切り無しの欲求で、ずっとしゃべり続けてしまうわけです。
現代は言葉の時代です。言葉が発展して、文字が発展して、メディアが発展して、インターネットが発展して、言葉の文化が益々高度化し、もはや人間と言葉の関係は緊密になり、複雑化してしまっているわけです。
脳内は言葉でいっぱいで、すでに、言葉が脳のキャパシティを超える勢いで、そして、煩悩でいっぱいなわけです。
煩悩を消化しきれない時代なわけです。
だから、喋りたくてしょうがない、喋らないとしょうがない、そんな時代です。
でも、喋っても喋ってもきりが無いわけです。聞いてもらっても聞いてもらってもきりがないわけです。
脳から溢れんばかりの言葉の世界で、どうやって言葉を保持したらいいのか、吐き出したくてしょうがないわけです。
でも、この「喋りたい欲求」はドーパミンドリブンですから、いくら喋っても、いくら聞いてもらっても、終わりがありません。留まる事を知りません。喋れば喋るほど、言葉がどんどん溢れ出てしまうわけです。
もはや、中毒です。お菓子と何ら変わりません。お酒やタバコと何ら変わりません。砂糖づけの状態であり、ニコチン中毒の状態です。
これは、現代特有の問題であるわけですが、おしゃべり好きの人類は実は昔からそうなわけで、これを早々に変える事は出来ません。身体が、また、本能が、そうさせるわけです。
でも、手を打たないといけません。言葉の過剰、おしゃべりの過剰、これをどうにかしないといけません。ちょっとのおしゃべりは良いと思います。でも、過剰はいけません。
このストレスいっぱいの現代社会。喋たりたい欲求もその1つという事です。