人は幸せになりたい。幸せになりたいわけですが、なかなかなれないわけです。なれないわけではないけど、なるのは難しいと感じるわけです。
何故かと言うと、そもそも幸せに「なる」のではなく、幸せを「感じる」事が大切だからです。大切だからというより、幸せというのは「なる」ものではなく、幸せを「感じる」ものというのがより正しいからです。
幸せになろうと思って、幸せなるための色んなものを獲得しても、獲得したそれらによって幸せになれないわけです。それらが自分を幸せにはしてくれないわけです。
幸せというのは、感じるものであって、自分をどう幸せを感じるかという、自分の「感じる」という部分が重要だからです。ですから、感じるという能力がなかったら、いかように色んなものを獲得して自分のそばにおいても、幸せにはなれないわけです。幸せは、感じる事でしかないからです。
幸せというのは、その意味で、自分の外側からもたらされるものではないという事です。自分の内側から自ら感じる形でしかないわけです。自ら感じて、幸せという形で実感しなければ幸せは感じないわけです。
そうなると、自分がどのような事で幸せを感じるのか、という事が体感的に分かっていなければいけないわけです。
例えば、何か起こった時に、「今自分は幸せを感じた。」という形で、自分が幸せを感じたかどうかに自ら気付けなければ、幸せを感じる事にはならないわけです。
こればかりは、自分以外の何かから与えてもらう事はできないし、自分以外の誰かから教えてもらう事は出来ないわけです。
自分自身が何を感じているのか、という事に、自分自身で気付けないといけないという事です。それは、自分が自分と、感覚として、もしくは、感情で、つながりを持っていなければならないという事です。
幸せは自分の内側から、感情を通して感じるものですから、その感情こそが幸せかどうかを決めるわけで、自分の感情がセンサーであり、羅針盤なわけです。
そして、自分の感情を自分自身が気付く事が重要なわけです。自分の感情に気付かなければ、たとえ幸せな状態に近づいていたとしても、その事が分かりません。幸せになのに、幸せではないとなってしまうわけです。つまり、幸せかどうかは、感情をセンサーにして、気付く、もしくは、認識するという事が大切という事です。
そういうわけで、幸せというのは、「なる」ものではありません。幸せになるというのは、言ってしまえば、文章が正しくないわけです。正しくは、幸せというのは、「感じる」ものという事です。