人間にとって何が意味があるか。人間にとっての意味というのは、無機質なものではなく、人間は意味を感じられているから生きている、という意味です。
人間が感じられる意味には、感情というものが含まれているわけで、人の心が含まれているわけです。ここでは、特にそのような「意味」について考えています。
人は、ある事について意味を感じられなければそれをする事が出来ないわけで、意味は重要です。意味が無ければいけないわけです。
その時、感情は意味を与えてくれているわけです。
例えば、何かをやる時に、納得感を与えてくれていると、その事に意味を感じて、そして、実際にそれを実行できます。納得感は、感情によって支えられています。
ですが、納得できていないと、それをする事は出来ません。たとえ出来たとしても、納得していませんから、自分の意に反してそれをする事になります。それは、嫌な事であるし、つらい事でもあります。
その意味で、意味は重要であって、それを支えているのは、自分の感情であり、そして、自分の心です。
自分の心が、その意味を支えているのです。
一方で、シンプルな意味で「意味」と言うと、それは何らかの「内容」の事であって、感情や心は関係ありません。この時に使う意味というのは、一般的な意味での「意味」であって、上で言っている感情や心に支えられた人間としての意味とは違います。
そのような無機質な「意味」は、例えば、「記号」というものを支えていて、記号は、例えば、信号機の「赤」と、「止まれ」という意味で支えているわけです。
また、一本の棒を、ひとつという意味がセットになって、「1」という記号が形成されます。信号機の「赤」も数字の「1」も記号なわけで、それらは意味が支えています。
このような仕組みは、一方で、動物としても、原始的なものであって、視覚情報で何かを判断する場合には、その視覚情報は記号の範疇であり、そのような記号は、哺乳類にも、鳥類にも、それこそ昆虫にも備わっています。
記号を支える意味は、極めて原始的です。
話を、心や感情によって支えられる「意味」に戻すと、それは人間が生み出した、生物の進化論的には比較的高等なものと言えます。
そもそも、心や感情というもの自体が、生物の進化的発達としては、人間独特のものであって、それらを育ててきた事によって人間になったと言えるほどです。つまり、人間ほど心や感情が豊かな生き物はいないわけです。
人間にとって、意味は重要です。それは、無機質な情報として記号の一部である意味ではなく、心や感情に支えられた意味です。そのような意味を感じられて、人間は生きていけるわけです。