毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

地域コミュニティではなく、エンタメが居場所。

自分の居場所は一体どこにあるのか。自分の終の棲家はどこなのか。そういった事について色々と考えてきたのですが、どことなく、エンタメというのがその答えなのかもしれない。そのように感じます。

 

地元を離れて随分と年月が経つわけですが、ではそこが自分の居場所と感じられるのかというと、そう簡単な事ではありません。明らかに、この場所に来たくてここに来たわけではなく、仕事の都合でここに住んでいるわけですから、今の居場所と言えば、この町この都市ではなく、会社と言った方が居場所とは言えるわけです。

 

その意味で、自分には自宅というものがありますから、今の自分の居場所と言えば、会社と自宅と言えるわけですが、ではその周辺としての町や都市はそのまま居場所と言えるかというと、そうでもない。そのように感じます。

 

昔から、地縁コミュニティ、地域コミュニティみたいなものがあったわけですが、それは今でもいろんな場所に存在しているわけで、とは言え、たまに日本のテレビでそのような風景を見てもあまりピンとこないわけです。

 

例えば、日本の地方都市のいなかや昔からあるコミュニティは、何か居場所めいている感じがあって、また、それが日本の伝統のような感じもあるわけですが、もちろんそれは素晴らしいとも実感しますが、だからと言って、それが自分も同じくそのような居場所的なものを抱いているかと言うと、そうとは感じないわけです。

 

今思うと、例えば、子供の頃の漫画とかゲームは、ひょっとすると、自分の居場所感があったりするわけです。それらを居場所というのは、ちょっと違う感じがありますが、自分にとっての馴染みある環境の役割を果たしていた感じはするわけです。

 

また、日本の音楽にはそれほど子供の頃から関心はありませんでしたが、アメリカの音楽は好きで、べたなところだと、マイケル・ジャクソンなどは好きだし、その意味でアメリカ音楽にはとても馴染みを感じます。

 

そういう意味では、音楽に限らず、映画が好きで特に洋楽はいっぱい観てきましたし、今でもよく観ますし、最近だと海外ドラマをしょっちゅう観ているわけです。それらは、ずっと自分のそばにあったし、自分の環境であったし、その意味で居場所と言えるような気がします。

 

アメリカに一時期住んでいた時、住んでいた街には映画館がありましたが、毎週末観に行っていました。日本と比べて値段も安いし、アメリカにとって映画は日本にとっての映画に比べて、より意味がありより身近で、よりアイデンティティを支えているものだと思います。

 

アメリカは、エンタメ大国であるわけですが、日本はアメリカのそのようなカルチャーを取り入れ、後追いしてきたと言えるわけです。

 

自分は明らかにそのような時代に育ってきたわけで、居場所という意味では、土地としての地域コミュニティではなく、文化としてのエンタメ、とりわけアメリカを中心とするエンタメにあるように感じるわけです。

 

もし、自分の住んでいる街に映画館があったら、おそらく毎週通ってもいいかなと思います。