毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

時間は永遠にあると思うくらいでいい。自発的に、能動的に、好きな事だけをやる。

時間という概念は、人間にとって非常に困ったものです。時間はいつだって物凄く速いスピードで迫ってきます。そして、その時間に急かされて、時間とともに走ろうとしています。そして、我を失います。

 

時間なんてものは、永遠にあると思うくらいでいいんです。今日がダメでも明日があるし、明日がダメでも明後日があるんです。別に今日中にやらないといけないわけじゃないし、それこそ明日中に、明日までにやらないといけないわけでもないんです。時間なんて、たっぷりあります。

 

時間という概念を、人間は取り扱うのが下手なので、どうしても時間に追われてしまいます。時間は無いものにしたっていいくらいです。そのように取り扱う事で、時間は凄く有効利用できます。

 

仮に、時間が止まったとしましょう。時間がいくら経っても、時間は進んでいない。そんな世界だとしましょう。そうなったら人はどうするでしょうか。何でもやると思います。時間は進まないわけですから、何の気兼ねもなく、のんびりやると思います。美味しいものを、ゆっくり時間をかけて食べるでしょうし、寝る事も惜しむことなく出来るでしょう。時間が進まないわけですから、嫌な事は脇に置いて、好きな事だけやるでしょう。「嫌だけどやらないといけないからやる」みたいな観念は、そこでは一切無くなります。時間が進んで、時間には限りがあると思うから、そんな観念が生じるんです。

 

そして、実際は、時間が進まないという仮定したときにやる事をやればいいんです。きっと、好きな事をやるでしょうし、役に立つなどという観念にとらわれない事をやるでしょう。自分がやりたいという思う事をやるわけですから、それは能動的でしかないし、自発的でしかありません。誰かからとやかく言われてやるような事ではないし、生きていく為に必要だからと言ってやるような事でもありません。

 

時間という概念は、そのように取り扱うべきです。まるで止まっているように、まるで時間の概念が無いような心持ちでいるべきです。そうしたら、凄く心にゆとりが出来、時間とともに自然と居る事が出来て、時間というものと凄く有意義に付き合う事が出来ます。

 

時間は決して追い立ててくるものではありません。決して、圧力をかけてくるようなものではありません。ただそこにあって、でも、無いようなものです。だから、時間に囚われず、時間は進まないと捉える。それでいいんです。そして、ゆとりのある中で、自発的に、能動的に、好きな事だけをやればいいんです。