効率性。生産性。この社会で常に求められるもの。
ですが、人間は、効率性、生産性を追い求めても、幸せになれるとは限らない。むしろ幸せになれない。よく言われます。確かにそんな気がします。
働いていると、効率性、生産性は、常に求められます。求められない日はありません。どんな時でも効率的かどうか、生産的かどうか、が重要になります。それが効率的で生産的であれば、人々は納得します。ですが、効率性、生産性を追い求めても、いずれは上手くいかなくなる。分かる気がします。とは言え、なぜ上手くいかなくなるのかは分かりません。とても不思議です。
仏教も、効率性、生産性を良しとしません。それらを追い求めたところで良くはなりません。最初はよく見えても、いずれは破綻します。そのような世の中です。その事はみな知っています。ですが、効率性、生産性のプレッシャーを皆感じています。
あらゆる政治システムは、効率性、生産性を追い求めた結果、破綻しています。歴史を振り返るとそう見えます。どんな帝国主義も結局のところ破綻しました。どんな君主制も、全然うまくいきませんでした。少なくとも、効率性、生産性は最初は良く見えても、最終的には上手くいかず破綻します。
あらゆる企業経営も、効率性、生産性だけでは上手くいきません。確かに利益は上がります。ですがある時社員にひずみが来て、そして、最終的には経営破綻に追い込まれます。人間らしさを忘れると、必ず会社経営は失敗します。事実からすると、間違いありません。
他にもたくさん例は挙げられますが、いったんそれはやめて、改めて考えてみますと、人間らしさは、効率性、生産性を追い求めると失われます。一般にそう考えられています。効率性、生産性は人間らしくないから、それを追い求めるといずれ人間社会は行き詰まります。
とは言え、人間は効率性、生産性が理解できないわけではありません。実践できないわけではありません。人間らしさの中に、効率性、生産性が含まれないわけではありません。ですが、少なくとも、効率性、生産性だけになってしまうと、人間らしさは失われてしまいます。この事は理解できますが、何故そうなのかと言われると、よく分かりません。
人は、効率的に、生産的に生きようとします。そして、苦しんでいるように見えます。ですが、苦しんでいても、効率性、生産性を追い求めるのを止めません。苦しみが続く事を知っているのに止めません。幸せになれない事を知っているのに止めません。不思議な事に止めません。