毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

平日の為のしわ寄せとしての週末ではなく、週末は週末としての特別な日に。

週末になると、平日の間に蓄積していた色んなストレスや疲労や感情が漏れ出してしまいます。平日を過ごしている間は気付かずに堪えて過ごしていたのか、週末を迎えるとどっと疲れが出たり、気持ちをダダ洩れさせたくなったり。なかなかに普段はどんな過ごし方をしているのか、不思議になります。

 

週末は気持ちを切り替えて、平日の仕事のことなど忘れてスカッと過ごすぞ、と思っていたのに、やっぱりそれは容易にはいきません。何か平日の間に整理をつけられなかった事のつけのようなものの為の処理の時間が、週末にあてられてしまう。何とも言えない気持ちになります。

 

一体どこでそんなに感情をため込んでいたのか、押し殺していたのか、そんな色んなものが、ごちゃごちゃな形で後になって顕在化してきて、その整理の為に時間はやっぱりそれ相応に必要になってしまう。そんな週末です。

 

かと言って、平日のその日その日に感じた事や受け取った事を即座に自分自身に感じて、その場その日で対処しようとしていたら、きっと平日の1日1日は、乗り切れなかったのでしょう。毎日、朝は起きないといけないし、決まった時間に寝ないといけないし、昼間は昼間で、仕事に出かけて帰ってこないといけないし、そのような循環をある程度滞りなく保とうとすると、どうしたって週末にそのつけというか、そのしわ寄せが行ってしまうのはしょうがない気もしてきます。

 

本当は、平日仕事をしたら、週末には仕事以外の事もしたいと思っているわけですが、なかなかにそうもいかないというのが、実際のところです。平日の仕事の循環を維持しようと思うと、気が付いたら、週末もその循環の重要な一部として使ってしまう。どうしてもそうなってしまいます。出来れば、平日の事は平日の内に、そして、週末は週末としての時間に使いたい。それが希望です。

 

ただ、このような事実に気付くと、改めて平日の過ごし方というのも分かってくるような気がします。いかに平日の分は平日に。週末は平日とは違う特別な日に。平日の為の週末、平日の一部としての週末、平日のつけとしての、しわ寄せとしての週末ではなく、週末は週末としての特別な日に。

 

平日は仕事をはじめとしてもちろん大切な時間。でも、週末だって大切な時間。平日の為に帳尻を合わせるために時間ではない。何とかして、この大事な週末の日を、平日に飲み込まれないように。飲み込まれないために。それが最近の悩みというか、課題というか。より良い週末の時間にしたい、今日この頃です。