毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

身体が中心。身体は疲れていても、身体とともに生きる。

身体が中心なんだなと、後になってよく思わされます。

 

何か上手くいかない事があったり、人と上手くコミュニケーションがとれなくなったり、それでネガティブな気持ちになったりしたとき、後になってどっと疲れが出る時があります。その時に、身体が実は疲れていて、それで多くの事が上手くいかなくなっていたんだって気付かされます。

 

身体の疲れは、何においても先行します。身体の疲れには、程度が程度の場合、気が付きません。疲れがちょっとしか出ていない時には、疲れの感じが顕在化してこなくて、でも、その事が原因で多くの事が上手くいかなかったりします。感情も気分もネガティブになったりします。ですが、繰り返しですけど、実は身体の疲れが原因だったりします。

 

そういう事なので、よく対処が遅れます。後になって疲れていたんだなと気付かされるわけですが、要は対処が遅れます。それは仕方がない事だなとは思いつつも、やっぱりこういう事は解っておいた方が良いなと、その都度思わされます。

 

身体というのは、思ったより頑張ってくれます。本当は疲れが出始めているのに、頑張れてしまいます。ですが、実は徐々にパフォーマンスが下がっていて、ある時ドンと疲れが出てしまいます。そうなったら、しばらくは身体が回復するまで、身体のペースに合わせてゆっくりやっていくしかありません。やっぱり身体が中心です。

 

そして、自分はと言うと、身体に鈍感です。身体が実は疲れているのにその事にしばらく気づきません。色々と実は身体がサインを出していたりしますが、全然その事に気付きません。自分自身は、頭の中にある意味閉じ込められてしまっているので、身体がどんなに疲れていようと頭が思うようにやろうとしてしまいます。きっとあらゆるサインを身体は出しているはずです。ですが、そんな事に気付かず、自分自身は前を向きっぱなしで、行くところまで行こうとします。そして、結局ある時身体が疲れているという事に否応なしに気付かされます。当然と言えば当然の結果です。

 

やっぱり、自分たち人間は身体から出来ています。当たり前の話です。身体は疲れをためるし、それでも、頑張ってしまうし、そして、それでも結局、身体は疲れの限界を突破して、ドッと疲れが出ます。そしたら、もう止まってあげるしかありません。身体と一緒に止まるしかありません。しばらく休んで、身体とともにペースをゆっくりにして、回復を待つ必要があります。私たち人間は、身体無しでは生きていけません。