毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

会社に行きたくないと思ってしまうのは、「人を怖がっている」からではないだろうか。

朝、漠然と不安感があって、今日は会社に行きたくないなと思ってしまう事ってありませんか。私はよくあります。それって、よく考えていくと、「人を怖がっている」からではないだろうかと思ったりします。

 

どことなく、会社に行くのが息苦しいと感じるというのがあると思うのですが、それって、実は会社の人たちの事がよく分かっていないからではないかというのがあるように思います。さらに言えば、そもそも人そのものをそんなに信用していなくて、それで、常に人に対して安心できないから、気が抜けなかったり、疲労感がたまったりして、そういう漠然とした事がストレスになって、無意識に不安感として感じて、それで「会社に行きたくないな~」という気持ちが湧き上がってくるみたいな感じではないでしょうか。自分の仕組みがすでにそうなっていて、もはや会社にいる人たちの具体的な原因はないのではないか、みたいな。

 

実際、人の事がよく分からないという事については、ある程度しょうがないように思います。だって、自分の事すらよく分からないから。ほとんどの人が、自分という人間がそもそもよく分からなくて、その事で大半の人生の時間を費やしているんじゃないだろうかと思います。自分すら推測でしか分からないような状態だから、自分以外の人をどうやって推測して理解できるのか、という問題はあると思います。なので、ある意味しょうがない事ではあります。

 

また、「人を怖がってしまう」という事についても、大半の人はそれは当然で、これまで生きた中で、実際に人に脅かされた経験があったり、怖いと感じる経験があったりするからだと思います。人間は適応性のある生き物で、経験して学習する生き物ですから、「人が怖い」と感じる経験が何度もあると、それを学習してしまって、「人を怖がる」ようになると思います。さらに言えば、それで生きて来られたという思う事すらあると思います。だから、人を警戒する事を怠れません。

 

とは言え、そのようにして、自分の中に仕組み化してしまっているので、今となっては、「人が怖い」のではなく、「人を怖がる」という、無意識レベルの自発的な心の備えが出来上がってしまっているのではないかと思います。そして、「人を怖がる」というのは、自分の身体が学習してきた安心感の無さの経験、不安感がトリガーとなって沸き起こってしまうという感じです。そして、その不安感も、身体の疲れとかそういった事がトリガーとなって沸き起こったりしますから、そういう仕組み、「疲れ」⇒「不安感」⇒「人を怖がる」⇒「会社に行きたくない」のスキームが出来てしまっている事が原因で、もはや会社にいる人たちが怖いという事と直接的な因果関係が無かったりするのではないかと思います。

 

そして、よくよく考えたら、本当に、会社にいる人たちを、怖がる必要があるのか、という事です。確かに、警戒すべき要注意人物というのは会社にはたいていいるものですが、そういう人を除くと、実際そんなにいないのではないでしょか。もはや自分が自動的に人を怖がってしまっている、みたいな。自分のこの仕組みは知っておいた方が良いように思います。

 

なので、学習のし直しが大事で、毎日、自分に対して、「人を怖がる必要がないんじゃないの?」と言ってあげる事は大事かなと思います。自分の中に、無意識の「人を怖がる」仕組みが出来上がっていますから、その仕組みを修正するという事です。

 

朝、漠然と「会社に行きたくないな」と思うのは非常に煩わしいものです。それはそもそも「人を怖がっている」事が原因かもしれないので、その事を自分に問い直してあげて、自分で自分に対して優しい言葉をかけてあげたり、修正を試みたりするのが良いのではないかと思います。