毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

「守りたい」という欲求について考える。不自由や自己効力感の満たされなさの原因。

最近、ふと「守る」という言葉を聞いて、自分の中に「守りたい」という欲求が根源的にあるのではないかと思ったので、この「守りたい」という欲求について考えてみたいと思います。

 

とは言っても、特にポジティブな意味というわけでもなく、むしろ、守りたいという無意識な部分での本能のようなものが、逆に自分を生きにくくしてきたのではないかという意味です。自分としては、「自由」というワードは重要で、もっとリスクを取って生きていたいとか、自分を変えていきたいと思っているわけですけど、むしろ自分の堅実な部分というか、確実性を優先する自分がいて、思い切った事がなかなかできないという感じもあります。

 

「守りたい」という欲求は、何か自分の内部で積極的で自動的に起こる感じがして、「何かを守らなければならない」という感じではなく、「何かを守りたい」という感じです。だから、「守ろうとする」事は気持ち的には楽な事で、心地良い事です。逆に言うと、守りに入らずリスクを取ろうとする事に、物凄くエネルギーがかかる感じがして、言い方を変えると、守りに入る事に強い引力のような力がかかっていて、それに抗して何かしようとするのは難しいという感じです。お菓子を食べたいという欲求に似ている感じです。お菓子を食べたい欲求にしたがうのは楽で、逆にお菓子を食べたいという欲求に抗おうとするのは大変な事です。

 

だから、ある意味、自分を守る事は得意で、良い意味でも今まで上手く自分を守ってこれたという部分はあるし、堅実さや確実さにつながったようにも思います。ですが、守ろうとする意識が強くなり過ぎると、なかなかその場から動けず、自分を変えられない感じになります。その意味で、「守りたい」という欲求が強くなり過ぎると不自由になるのではないかと思います。

 

そういう意味で、守る事が常に優先で、それは心理的コストが凄く低くて楽で、その事を意識する事自体は簡単な事ですが、逆に、守りに入らずにリスクを取って行動する事はコストのかかる事だし、大変な事になります。もう少し言うと、この「守りたい」という欲求が不自由に原因で、その反動としての自由への渇望が常になってきたように感じます。自分の無意識の「守りたい」という欲求に、自分の自由が制限され、抑圧されていたのではないかと感じます。

 

実際、人類の歴史も、自分たちを「守りたい」という欲求によって紡がれてきたとも言えるように思います。自分たちの家族を守り、国を作って自分たちの国を守り、それを守るために戦争をしてきたように思います。「戦いたい」という本能も人間には他の動物と同じように持っているとは思いますが、「守りたい」という欲求もかなり強く、その本能が相手と戦ってでも守るという事につながってきたんだろうと思います。その意味では、オキシトシンのようなホルモンはテストステロンとも相まって、国の繁栄や戦争の歴史とも関係あるように思います。

 

また、「守りたい」という欲求の問題は他にもあって、実際には、「守りたい」というのではなく、「守っていると感じたい」という欲求です。人は、「感じる」事を通して何かを得ようとしますから、自分が何かを守っていると感じられると、安心したり、満たされたりするという事です。だから、自分に何かを守りたいという欲求があるのに、あんまり何も守っていない状態になると、「守りたい欲求」が満たされませんから、逆につらくなるように思います。その意味で、先ほど話した、お菓子を食べたい欲求に似ているという意味で、何かを「守りたい欲求」が満たされませんから、ドーパミンが出ず、つらさが高まるという気がします。

 

常に、自分は何かを守っていると感じられると、自分には力はあるように感じられて、自己効力感が高まって自信が持てます。その「何かを守りたい欲求」が大きく育ってくると、現状の守っているものだけでは十分ではなく、もっと大きなものを守っていると感じたい衝動が収まらなくなって、より大きなものを率いたいとか、大きな組織をまとめたい、というきりのない感じになってきます。会社などでは、この「守っていると感じたい欲求」は出世したり、組織を率いたりしないと満たされませんし、社員の全員がそういう仕事をする事は出来ませんから、一部の人は「守っていると感じたい欲求」は満たされますが、その他の人は満たされず、多くの社員がつらくなり、これも組織の構造上の厄介な問題になると思います。

 

今回は、「守りたい」という欲求について、自分の事も踏まえながら、特にネガティブな側面について考えてみました。

 

守りたいという欲求は根源的なもので、自分自身を守るという意味では確かに大事のものですが、それが強くなり過ぎると自分の自由を制限して抑圧し、不自由になって逆に自由への渇望が高まっていくように感じます。

 

また、実際には、「守りたい」という欲求ではなく、「守っていると感じたい」という欲求があってこれが自己効力感につながっているので、それをなかなか感じられない日常では「守っていると感じたい」欲求が満たされず、つらくなるのではないかという事です。

 

ただ、この「守りたい」欲求、「守っていると感じたい」欲求が本能のレベルで根源的に備えている、神経科学的に備えていると理解すると、今後自分をどうやっていくかを考える助けになるので、それは良い事だと思います。人間は元々こんな感じで、守りたい生き物なんだと思います。