毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

生きるとは自己を作っていく事。習慣・不安・自己理解

人は基本的に習慣によって形作られています。毎日の習慣が、毎日の自分を作っていて、その毎日の経験の積み重ねによって、自己がより作られていきます。人生というのはそういうものだと思います。

 

何故、人は自己を作っていくのでしょうか。自分探しという言葉は昔に流行りましたが、そういうのも案外以前の流行りではなく、今でもみんな自分探しを内心でやっていると思います。

 

「自分は一体何者なのか」という問いは、たいていの人がやったことがあると思います。きっと問わずにはおられないのでしょうか。「ボーン・アイデンティティー」という映画が以前に流行りましたが、物語は主人公のジェイソン・ボーンの記憶喪失の場面から始まるわけですが、失った自己を取り戻すという動機は、人の人生の物語を創るには十分重要な要素になるという事だと思います。

 

人間というのは、まず自己があって、そして、その自己が何か目的を持ってそれに向かって生きていく、そういう生き物ではないと思います。人間は元々自己なんてものはなくて、発達過程で自己が形成されて、幼少期にある程度の自己が形成された後も、さらなる自己の形成を目指して、人生の間、ずっと自己を作り続けていると思います。

 

毎日毎日の経験が、自己の一部として記憶されて、それを繰り返すことによって、自己という自分が形成されていきます。だから、毎日の習慣が自己を作っているというわけです。

 

では、自己は自分の思い通りに形成させられるかというと、そんなに簡単ではありません。自己の形成は習慣によって少しずつ形成されていきますから、継続していく事が重要です。だから、習慣が安定しないと、自己の形成は安定しないと思います。

 

そして、ある程度大人になって、しっかりとした主体的な自己が形成されてくると、その主体的な自己は、何か自分の目的を持ってそれに向かって生きていけるようになります。だから、自己が形成されると、ある程度生きる道しるべを持つことが出来て、生きやすくなると思います。

 

逆に、どう生きていけばよいか分からない、という不安で立ち止まるときもあると思います。それは、自己の形成が不安定になっている時だと思います。自己が安定していると、不安は少なく、自己が不安定だと不安を強く感じやすくなると思います。言い方を変えると、自己が不安定になると、感情的につらく不安になるから、自己を安定させようと自己を形成させようとするんだと思います。あまりに不安が強すぎると、とにかく自己を安定化させようと必死にあるので、自分が望むように自己を作っていく余裕は無くなると思います。

 

でも、自己は、今言いましたが、自分が望むように自己を形成させていく事は可能だと思います。それをするには、時折立ち止まって内省する事です。自分の自己理解を高める、メタ認知を高めるという事です。たまには、時間を取って、自分について振り返って自分を反省し、これから自分をどのように形成させていきたいか、自己理解とともに考えていく。そういう事は自分の望むような自己を作っていく上でとても重要だと思います。

 

そして、自分の望むような自己のイメージが出きたら、それに向かって、新たに習慣を作っていく事が出来ると思います。習慣作りは時間がかかるものですが、人間にとって確かな方法なので、確実に自己を作っていく事ができると思います。

 

そのような意味で、人は生きていく中で、常に、自己を形成しようと生きていると思います。そして、それを形作るのは習慣です。つらい時、不安な時は、自己が不安定になっているサインです。一度立ち止まって内省して自己理解を含めて、仕切り直して、望むような自己を形成させていきましょう。