毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

瞑想を取り組む事による気付き

瞑想をはじめて、一週間と少し経ちました。正直、瞑想が上手くっているとは思えません。でも、継続することが大事だと信じて、これからも続けていこうと思っています。それで、今回は、瞑想を取り組むようになって、多くの気づきがあったので、その事をお話ししたいと思います。

 

まず、とにかく、雑念が多いという事です。雑念と言うと大雑把なので、もう少し具体的に言うと、思考とも言えない思考の断片のようなものが次から次への湧いてくるという事です。思考の断片というのは、言い換えると、言葉の断片かもしれません。言葉のフレイズというか、独りごとの断片というか。とにかく、思考や言葉の断片がたくさん飛び交うという事です。

 

次に、身体の痛み、疲れに気付くという事です。目の周りが疲れているとか、肩や背中が痛いとか、足が痛いとか、とにかく身体のあちこちが痛いという事に気付きます。普通にしているとそんなに気付かないのですが、静かに目をつむっていると、色んなところが痛んでいる事がよく分かります。痛みに敏感になっているような感じです。

 

それと、身体の痛みだけでなく、感情の痛みにも気付きます。今日一日の中で、気になっていたことが、感情の痛みとして瞑想中に現れてきます。仕事で一日中、色んな人と仕事上のやり取りをしていると、色んな事を我慢したり、会話中に嫌な事を言われたことを放っておいたりしています。そういう色んな感情の断片が、痛みとなって出てきます。普段の生活では、忙しくて、そのような無意識の感情には気づきませんが、瞑想に取り組むと、気付くようになる事が分かりました。思い返すと、確かに、そのような感情の痛みは一日の中で経験しています。確かに、傷ついています。でもその時は軽く受け流していたりするのですが、心が実は傷ついていたという事が分かります。こういう無意識への気づきは、どことなく自分を大事にできるような気がして、これからも瞑想を続けたいなと思う事でもあります。

 

最後に、リラックスできるという事です。特に夜の瞑想でそう思います。一日落ち着きなく過ごしてきて、そして家に帰って瞑想に取り組みます。自分の内面に向かって、言葉を発さずに、黙って10分とか20分とか過ごすわけですが、そうしているうちに、心が静かになってきます。良い意味で、テンションが下がってくるという感じです。上に書いたように、身体の痛みや感情の痛みをじっくりと味わっていますから、心身ともにいい感じで沈んでいます。温泉に浸かって身体を労わったって感じでしょうか。心地よい余韻が残ります。

 

まだ瞑想をはじめて月日は短いですが、気づきとしてはこんな感じでしょうか。思考や言葉の断片、身体の痛み、感情の痛み、リラックス。

 

瞑想の時間は、本当に自分の内面に向き合える良い時間だと思います。個人的には、瞑想が習慣化したとはまだ言えないように思いますが、瞑想の習慣化を目指してこれからも継続していこうと思います。