毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

報告書が拒絶されて疲弊するサラリーマン。「アンチ・オイディプス」はすでにこの問題に回答している。

会社勤めの皆さん、報告書の提出は順調ですか。私はいつも報告書に悩まされています。私だけでしょうか。

 

会社に入社して以来、日頃行っている業務の結果や成果を報告書としてまとめて、上長に提出してきましたが、一発で通る事はほとんどありませんでした。上長には上長の考え方があって、それにそぐわない場合は、こちらの意図に関係なく、その報告書は返されます。そして、その上長の承認が得られても、その上の上長がノーと言えば、また戻ってきて書き直しをさせられます。報告書だけでなく、プレゼンの資料なども同様です。

 

報告書は良い例ですが、会社はヒエラルキーの構造になっていて、上層にいる人はたいてい年配の人ですから、会社では年配の人たちの価値観が中心になっています。だから、年配者の価値観に合わせていかなければ、会社では色んな事が通りにくいという側面があります。若い人たちは、この事に長い間煩わされると思います。

 

会社に勤めていて体験する苦しみに、こういうことがあるのではないでしょうか。みなさんはいかがでしょうか。そして、私が言いたいのは、上の人から否定されたり拒絶されたりしても、あまり気にせず、報告書などは上長たちの価値観に合わせておいて、むしろ自分の価値観を持ってそれを大事にしていってほしいという事です。

 

何故そう思うか、それを1970年代にドゥルーズガタリによって書かれた「アンチ・オイディプス」を元にお話ししていきたいと思います。

 

アンチ・オイディプスオイディプスとは、フロイトオイディプス王から引用したもので、「父」を象徴しています。父は、子にとって、社会規範の象徴です。子は生まれて間もない頃は、無邪気で自由気ままな存在ですが、成長して大人になる過程で、厳格な社会規範を持つ父が立ちはだかり、父に屈して社会規範を受け入れます。その事によって、無邪気で自由さを失い、そして大人になります。そして、このオイディプスに対して、アンチ・オイディプスでは話が変わります。子は、父からの抑圧を受けつつも、父の抑圧を乗り越えて自由を獲得していきます。本書では、人間を「欲望機械」とみなしています。人は、その時代の父なる社会規範に縛られずに、自由に生きていこうとする生き物だという事です。第二次世界大戦からしばらく続いたイデオロギーの争いは資本主義社会が勝利したわけですが、それは、人間が本来的に「欲望機械」であり、従来からある社会規範、価値観に基づく時代の抑圧を、個人個人が打ち倒して乗り越えていくものだという事を言っているわけです。

 

現在も続く資本主義経済のシステムを支える原動力は、個人の自由の基づく活動です。本来は会社の上層部からの抑圧ではないのです。

 

このように考えた場合、報告書が何故通らないのか。「書き方が下手だからだ」という意見もあるでしょう。もちろん、その場合もあると思います。そして、会社は、特に歴史の長い会社ほど上層部はより上の世代の人たちから構成されていますから、当然その世代の価値観によって、その会社は、今現在まさに存在しているわけです。だから、今私たちが書いている報告書が、今の上層部の価値観に基づく内容になるというのは、ある意味当然なのです。

 

ですが、時代の流れは速いです。思っているより速いです。若い人はまだそのスピード感が分からないと思いますが、思ったより早く”自分たちの価値観が普通”になります。時代は本当に人々の歴史が作っています。だから、若いときは、今の年配者の価値観に基づく報告書が、今の時代では普通という事になりますが、すぐに、その価値観は古くなります。そして、自分たちの価値観が普通になります。

 

だから、日々の報告書にくじけず、自分の考えや価値観を大事にしていってください。もちろん報告書というのは、分かりやすい例で、会社の価値観は色んなところで見られると思います。納得できない事や違和感もたくさんあるかもしれません。それでいいのです。必ず自分たちの時代がやってきます。その時、自分の考え方や価値観が力を発揮します。