毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

昭和の親を持つ40代の不自由。「自由からの逃走」の先の時代。

令和時代に入って、日本社会は、資本主義社会を長い間ベースにしつつ、戦後、民主化と進んで、比較的自由で平等な社会になっていると思います。戦争が自分の身に差し迫るような危機や危険もないし、やりたい事や挑戦したい事に自由に自分の意志で選択できる。とても良い世の中になったという事だと思います。

 

ですが、自分は今40代で結婚していますが、ある程度現代の時代の自由と豊かさを享受しつつも、何らかの不自由さに夫婦して苦しんでいます。一体その不自由とは何でしょうか。時代の流れの観点で考え見たいと思います。

 

私たちの親世代は昭和時代を生きてきた世代です。自分の妻は、父親の虐待の中で育ったという事が大きいですが、父親が家族の大黒柱としてやっていく事に苦労をして、社会や仕事で上手くいかない事、不満、不安を家に持ち込んで、それを母親が支えるという家族の中で育ちました。父親は、社会の中で生きていく事にストラグルして、家族の中で自分の自尊心を満たさないと生きるのに絶えられなかったようです。母親は、父親の家族内での横暴や甘えに献身しつつ、心身ともに疲弊し生きるエネルギーを失っていたようです。子供たちは、そんな親に引っ張られて、精神的にいつも父親のご機嫌取りにエネルギーを使い、母親にもエネルギーを使い、そうやって成人になるまで不自由に生きていたようです。特に父親からの虐待と無関心、そして、父親へのご機嫌取りにエネルギーを取られて、自分をないがしろにして生きる性格を結果的に身につけてしまい、今は自分の為に生きる事に苦労をして、特に男性が不安になったり、恐怖を感じたりすることに自動的に何とかしようとかられるようになってしまって、自分で自分を生きる事に苦労しています。

 

私は、親からの虐待はなく良い親に恵まれましたが、父親がやはり社会や仕事に苦労していつも家にその不平不満や不安を持ち帰っていました。だから、私の子供の頃の夕ご飯は父親の仕事の辛さ、不満の話がいっぱいで、私はよく父親の仕事や職場の人間関係を知っていました。そのせいもあってか、労働というものに対する嫌悪感のようなものが刷り込まれています。これが自分の自由への渇望の原因だと思います。そして、母親はいつも父親を上手にサポートしてそれで何とか家族は回っていました。基本的に、私の親はとても仲が良く、それが今の自分が何とか強く生きていけている大きな要因だと思います。妻の親夫婦は上手くいっていませんでしたから、この事も妻の生きるエネルギーに影響したと思います。そして、私は子供のころから不安や辛さがあると、いつも母親に話を聞いてもらい、心の苦しみを解ってもらい、元気づけられていました。だから、私は安定した精神をある程度保てるようになったとともに、女性に甘えてしまって妻を母親のようにしてしまう傾向をもってしまったように思います。

 

今でも大きくは変わっていないかもしれませんが、昭和時代は性別役割分業が普通ですから、父親と母親が、私たちの親夫婦のように、父親が家の外で働いて、母親が家事と父親を支えるという構図が一般的だったと思います。そして、そのような中で、すべての夫婦が上手く生きてこられたわけではないですから、そのような親を見て育って、または、都合よく利用された私たちの40代の世代は、そのような影響による男性、女性になっていったと思います。だから、現代の21世紀は、表向きは自由な社会になっていますが、その中で営んでいる人々は、昭和の影響を内側で引きずっています。

 

私たち40代は、男性、女性ともに、昭和の時代の精神を内面化して生きています。でも。時代は自由への開かれた社会になってきています。男性は、強制的に刷り込まれた男性としての自分の生き方を認めて受け止めて乗り越えなければならないし、女性も同じです。自由への渇望は、自分自身が身につけた不自由に基づいているのです。具体的な自由を求める気持ちよりかは、覆われた不自由から逃げたいという渇望です。エーリッヒ・フロムの「自由から逃走」ではなく、その意味での自由は自覚できているのに、自由になれない不自由です。その意味では、時代は本当に自由の時代に入ってきているのですが、それでも自由になれないというのが、昭和に生まれた40代の不自由ではないかと思います。