毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

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現代は何故生きづらいのか。生命性の定義から考える。

何故人は生きづらさを感じるのでしょうか。日本社会は、長い間年間の自殺者数は3万人程もいます。1世紀前のように戦争が差し迫った時代でもなく、日本は経済的にも豊かな社会です。明らかに、生きやすい社会になっているはずです、にもかかわらず、多くの人が生きづらさを感じて生きていると思います。
この事について、「生命性」という観点から考えていたいと思います。

生命性を考えるとき、生命の最もシンプルなものとして、最小単位である細胞を生命の定義として考えたいと思います。細胞は、水の中にあってはじめて存在できます。そして、水の中で、細胞膜に囲まれた構造を持っています。つまり、水という環境である外部と、細胞という内部と、細胞を保持するための細胞と水の境界である細胞膜の三層構造になっています。そして、細胞膜は単なる境界ではなく、物質や情報のやり取りをしています。この細胞膜を介したコミュニケーションがなければ、生命性は保たれません。これが、細胞から考える生命性の定義です。基本的に、細胞より高次の物はすべて生命性を持っていると言えるでしょう。

こう生命性を考えたとき、では、人間はどうでしょう。人間は言うまでもなく生命ですが、この定義で考えてみましょう。特にここでは、外部を人間社会と考えます。外部に人間社会があって、自分という人間が存在しています。人間は常に、人間社会の中で、コミュニケーションをとって生きています。人間関係の中で、関係性を維持しながら生きているのです。

では、最初の問いですが、何故生きづらさを感じるのでしょうか。もし、周りの人間関係や人間社会から完全に孤立してしまった場合、境界を介したコミュニケーションはない状態です。この場合、人間社会の中で、生きてゆけなくなってしまいます。一方、周りの人間関係とのコミュケーションをとり過ぎた場合、自分と周りの他者との境界線を失って、自分自身を見失ってしまいます。これも、生きづらさの原因になってしまいます。ですから、人間社会の中では、孤立しすぎず、関係し過ぎず、ちょうどよいバランスを持った自分に合う関係性を維持することがとても大事です。

このように考えると、21世紀の現代では、生きづらさを抱えている人は多いわけですが、それは何故なんでしょうか。「つながり」という言葉をよく聞きますが、確かにそれは大事でしょう。でも、つながり過ぎるという問題もあると思います。つながり過ぎると、周りの人に対して関係し過ぎてしまって、自分自身をどう保ってよいか分からなくなってしまいます。特に現代は、インターネットがあって、人や社会の情報は過度に入ってきます。メディアは、間接的に、人と人とを結びつけますから、メディアの影響が大きくなると、想像以上に、人間社会との関係性は高まります。一見誰とも接していないようで、実はメディアという環境の中に生きていると、間接的にでも、人と関わっている事になります。周りの生き方を見て、「自分はどのように生きていけばいいんだろう」、「自分はこのような生き方で良いのだろうか」と自分の生き方に疑問が突き付けられます。そうすると、「自分はこう生きるんだ!」とか「自分は自分。人は人」とか、強く自分の生き方を保っていないと自分の生き方に不安になります。このようにして、生きていくという事に対して、メディアも含めた周りの人との過剰な関係性によって不安を感じやすくなります。

現代は、人間と人間社会の関係性において、自分を見失いやすい時代だと思います。メディアの影響によって、物理的に孤立していたとしても、環境の影響を受けます。HSP(Highly Sensitive Person)や内向型などのワードが注目を集めているのは、関係性が過剰な今の時代だからこそです。
この「生命性」という観点から、人間をいかに生命として保って生きていくのか。とても役に立つ考え方だと思います。自分が思っているより、関係性は過剰な時代です。自分自身をしっかり保持できるように、上手くバランスを意識して生きていきたいと思います。