毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

勉強法の身につけ方。苦手を克服していく。

私は40代半ばを迎えていますが、「趣味は何ですか」と聞かれれば、まず「勉強が趣味です」と言っています。会社に勤めるようになって、しばらくして働きながら通信大学の放送大学生涯学習という事で勉強をするようになりました。そして、毎日英語の勉強、読書か、勉強か、どれかを必ずやっています。

でも、若いときからそうだったわけではありません。気づいたらそうなっていました。

そこで、逆に、中学生や高校生、大学生の時に、勉強に関して苦手だったことをお話ししたいと思います。

 

まず、私は、子供のころから、読書が苦手でした。というより、漫画ばかり読んで、読書はほとんどしていませんでした。大学生くらいから少しずつ読むようになって、いつしか、読書をするようになりました。読書は今ではたまにマイブームのように小説を読むことはありますが、小説より実学のような本を読むことが多いです。哲学と歴史とかが基本的に好きなので、読書は勉強のような感じになることが多いです。

 

そして、中学、高校と、国語が苦手でした。その中でも特に、小説が苦手でした。文章中のどこにも書いてない事を、解答に書いてしまうこともよくあって、よく言えば想像性が豊かとでも言いましょうか、実際は、そもそも私はすごく気が散りやすく、文章に一段落も集中することができず、気付いたら心の中で歌を歌っていたり、違うことに思考が飛んでいったりして、文章を目で追っては、文章の意味を追っていない事気付いて何度も一度読んだはずの文章に戻ってもう一回読み、というのを繰り返して、だから、いつも試験の時間は足りませんでした。文章を読むことに集中できなかったという事です。それは今でもその傾向はあって、脳の仕組み上散漫になりやすい傾向も持っていると思います。

 

また、英語も苦手でした。特に、リスニングは苦手でした。おそらく、音として耳に入ってくる情報を意味に変換する機能が低いんだと思います。今でも、英語学習で、頭が英語脳になかなかならなくて苦労しています。英語の勉強はずっとしていますが、今は毎日英語の本読みを30分程度やっています。リーディングはまだできるんですね。

 

もう一つが、先生の話を聞きながら、板書を取って学ぶという、学校での授業スタイルに向いていないという事です。聞きながらノートをとるという事がまずできないです。聞くなら聞く、書くなら書く。どちらのシングルタスクでないとできません。さらに言えば、聞くだけを頑張っても疲れてきてすぐ集中力が切れていました。大学の授業は90分もあって、この授業スタイルについていけず、結局自分で本を読んで勉強をするというスタイルが最も良いという事がわかりました。大学で研究室に配属になったあと、研究をしながら勉強の楽しさを知って、そこからは自分で本や専門書を読んで勉強をする事で学んでいけるになって、それで自分自身の特徴として知りました。今思えば、高校の時など、実は物理などクラスでトップの成績だったのですけど、授業は全く聞かず、自宅で教科書を読むか、授業中に読むかで、勉強を進めていました。要するに後で気付いたのですが、自分は自分のペースでないと勉強ができないという事が分かったわけです。そもそも学校の授業スタイルというものに全く合っておらず、よく大学院まで行けたものだと思います。我ながら感心します。

 

こんな感じでしょうか。今では、自分は勉強が趣味だとか自負していますが、若いときは苦手な事は多かったのです。でも、今や苦手だったはずの、読書や英語が趣味の中心になっています。そうやって、苦手を克服してできるようになっていくチャレンジのようなことが好きだからなのかもしれません。確かに自分は基本的に、成長することが大事だと思っています。勉強は、分からない事やできない事に挑戦してできるようになっていく、"成長"していくようなものですので、凄く価値を感じています。そんな感じで、今では趣味を言い張れるほど勉強を日常的にやっています。