毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

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仕事を通じて自由とは何かを考えてみる

会社で働きながら、朝から早く起きて出社して、夕方まで働いて夜帰宅して1日を終える。こんな毎日を繰り返して、一体いつまで働いたら自由になれるんだろう。一体、自由とは何なんだろう、と思いますよね。

そこで、仕事というものに関して、自由とは何かということについて考えてみましょう。

 

まず、そもそも、働く事は自由なのか、働かない事が自由なのか、ということについて考えてみましょう。

働く事が自由だ、という場合、それは、働く事でお金がもらえるということで自由が得られる、ということだと思います。

何故お金が必要かというと、お金によって衣食住を満たして、必要最低限の暮らしとプラスαの消費のためだと思います。お金がなければ、物質的に生きていくことはできません。その意味で、働く事はお金という観点で自由だと思います。

では、働かない事は自由という場合はどうでしょう。働かないことで得られる自由とは何か。働かないことで、他の事ができる自由ですよね。働かない間に好きな事ができる。ただ、働く事とお金は直結していますから、働かずに得られる自由には、お金がかからないことで出来る範囲の自由ですね。ただ、それでも、生きるための最低限のお金が要りますから、すでに働く必要なないほどお金をたくさん持っていたり、自分の分のお金を他の人からもらえたりする必要はあります。そのように考えると、生きることはお金が必須ですから、働かないことで得られる自由は確かにありますが、その自由も、働く事で得られる自由があってはじめて働かないで得られる自由、ということになりそうですね。要するに、働く事で自由が得られる、ということになりそうです。

 

経済社会を中心に考えたとき、お金は自由に生きるために必要なものということになります。それは、人類が作ってきた仕組みによるものですね。なので、自由とはこの経済社会においてはお金ということになります。

 

では、今世界は基本的に資本主義経済社会のしくみで運営されていますが、資本主義社会での自由とは何かについて考えてみましょう。

資本主義経済では、まず資本家が、資金を準備して、それを元手に事業を始めます。そして、社員は仕事をして、新しい商品を生み出します。その商品が売れることによって最初に準備した資金より収入が増えれば、増えた分は利益になります。そうやってお金が増えます。その増えた分のお金がまさに自由に相当します。

では、その自由とは、どのように生み出されたのでしょうか、それは、言うまでもなく、社員が仕事をしたことによって生み出された"新しい商品"によってです。新しい商品でなければ、それは他の企業がすでに売って利益を出していますから、それに置き換えることはありません。したがって、新しい商品であることが重要です。

では、その新しい商品とはどのように生み出されたのでしょうか。それは、社員の創造する活動によって、ということになります。資本主義社会では、そのシステムを動かす原動力となるものは、新しい創造です。つまり、人間の創造力によって自由が得られるということになります。

私たち人類が今採用している資本主義経済社会では、人の創造力がお金を生み出し、同時に自由を生み出していることになります。

 

まとめますと、仕事というものに関して、自由とは何か、というと、働く事で得られるお金によって自由が得られるということになるんですけど、さらに仕組みから考えると、お金とは新しい創造によって生み出されるわけですから、仕事とは、新しく創造する事であり、それを通じて、お金という自由を得ているということになります。

創造性とは、広義に言ってしまえば、人間の活動そのものなわけですから、理想的には、自分が自分らしく活動をしていれば、仕事を媒介にして自由が得られるということになります。

 

人類の歴史は進行しています。資本主義社会も完成形ではありませんし、仕事の方法や内容も完成形ではありません。人類の歴史とは、ひとつの見方として、自由の拡大という言い方ができます。まだ、自由は完全ではありません。資本主義経済社会も、会社の仕組みも、働き方も、まだまだ未完成です。もっとより良く進めば、上で話したような、自分が自分らしく創造性を(ただ普通に)発揮していれば、自由になるわけです。自分は究極的には、人は生きることそのものが自由だと思っています。ただ、まだ社会のシステムが不十分なだけです。未来はもっと自由になっているだろうし、現代でも、昔に比べれば、かなり自由になったと思います。

私たちは、21世紀を生きているので、この時代の自由の程度しか享受できません。だから、仕事をしていても自由を感じにくいと思います。それは確かに仕方ないとも思います。それが今を生きる自分たちの社会の限界であり、そういう歴史的段階だと思います。

そのような観点からもう一度、自分たちの仕事の状況を見直して、今の時代、日本社会の会社勤めというものの中で、自分の自由はどの程度のものなのだろうかと考えてみてはいかがでしょうか。