毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

元気のいい人は自分の事が大好き。

別に、ナルシストである事が良いと言っているわけではありません。ですが、自分の事が大好きというのは、良い事だと思います。きっと元気でいられます。

 

あんまり元気が出ないというのは、実は自分の事がそんなに好きではないと思ってしまっている事も関係しているかもしれません。

 

自分ではそんなに気付いていませんが、思っているより、自分の事を好きと思っていないかもしれません。もしくは、自分の事を好きと思う事をいけないと思ってしまっているかもしれません。

 

無意識に、自分の事を好きになる事を否定してしまっているかもしれません。謙虚さを超えて、勝手に自己否定の癖がついているかもしれません。

 

ですから、もっと意識的に、自分の事を好きになって良いんです。

 

というより、自分の事をもっと積極的に好きになる意識が必要かもしれません。ただでさえ、自分の事を好きだと思う事を否定してしまっているかもしれないわけですから。

 

そもそも、自分の事をどのように好きになってよいかも、分かっていないかもしれません。

 

ですから、まずは、自分をもっと大事にするべきです。そして、自分をもっと見てあげるべきです。自分で自分を認めてあげるべきです。

 

また、自分の良いところをもっと見るべきです。自分の愛すべきところをもっと発見してあげるべきです。

 

自分自身は、自分が思っている以上に頑張っているかもしれません。そんな、頑張っている自分をもっと褒めてあげてもいいんです。尻を叩いてもっと頑張らせようとしなくていいんです。

 

そして、自分自身は、自分が思っている以上に、日々進歩しているかもしれません。前進しているかもしれません。「自分はちっとも前に進んでいない」と勝手に過小評価せずに、もっと客観的に自分を見てあげるべきです。案外、自分は前に進んでいます。

 

実は自分は自分が好きな要素をたくさん兼ね備えているかもしれません。ですが、あまりに自分を見ない癖がつき過ぎていて、もしくは、自分を悪く見る癖がつき過ぎていて、自分の持っている好きな要素を、完全に見落としてしまっているかもしれません。

 

それは勿体ない事です。もっと、自分を好きになって良いし、応援したっていいんです。

 

自分をもっと好きになって、もっと大好きになれば、きっと元気が出てきます。元気な人は、自分の事が大好きです。ですから、そんな事に躊躇せずに、無駄に謙虚にならずに、また、自己否定し過ぎずに、自分をもっと好きになっていいんです。

不安の吐き出しをして、深く疲れている事を自覚する。

不安は、意外と気付きません。無意識下では不安を抱いているのですが、その事に気付かずしばらく過ごしてしまいます。そして、知らず知らずのうちに疲れています。

 

疲れている時は休むに限るわけですが、それでも、何か前に進めない時があります。それは、不安を抱えているという事に気が付いていないからです。

 

なので、休んでも疲れが取れない時は、不安を抱えているのではないかと疑ってみるのが良いと思います。

 

よく考えてみたら、案外気付きます。言葉にしていなかっただけで、不安は抱えています。ですから、時間を作って、不安を吐き出してみるのが良いと思います。

 

言葉にしてみる。人生の不安、仕事の不安、家族の不安。色々あると思います。具体的な事も案外出てくると思います。

 

文字に起こしていくと、確かにそういう不安を抱えていた、という事に気付きます。

 

そして、日々そのような不安を抱えて過ごしている自分に気付きます。案外自分はそんな不安を抱えながら毎日を独りで送っているわけで、客観的にでも気づくわけです。

 

ですから、そんな自分をたまには褒めてあげるべきです。頑張っている自分を認めてあげるべきです。

 

そして、頑張り過ぎている自分に、少し休んでよいと声をかけてあげるべきです。また、自分を優しく見守ってあげるべきです。

 

きっと1つや2つではありません。たくさん抱えています。大きな不安もあれば、小さい不安もあります。案外少なくありません。そんな状態では、疲れるに決まっています。

 

そのようにして、不安をいくつも抱えている事に気付くと、心底休んだ方が良いという事に気付けます。深く気付けます。何となくでは、やっぱり休めません。深く休む事が必要なんだという事を自覚する事です。

 

今頑張っている事、継続している事を、少し力を抜いてみる事です。不安に苛まれながら必死に掴んでいるかもしれません。ですから、その手を少し緩めて、とりあえずは、気軽にやっていく事です。無理せず、無意識に自分の尻を叩かない事です。もう十分、ぎりぎりのラインで頑張っていますから。

 

そのようにしてはじめて、深く休む事が出来ます。

 

その為にも、不安を抱えている事に気付くべきです。そして、不安について吐出しをしてみるべきです。時間をかけて吐き出してみるべきです。きっとたくさん出てきます。抱えきれないほど出てきます。

 

そうする事でようやく、深く、休んだ方が良いという事を認識できます。大事な事です。

ディストラクトを無くすことで、自ずとやりたい事に集中する。

人はやりたい事に集中したいわけですが、なかなか集中できないわけです。コミットできないわけです。それは何故か。

 

それは、いつも何かにディストラクトされているからです。

 

頭の中、もしくは、心が、何かディストラクトされていて、いつも散漫で、やりたい事、やるべき事に集中できないわけです。

 

ですから、いかに、ディストラクトされている状態を無くすか。そういう事が大事です。

 

仏教で言う、煩悩にも似ています。いつも人は何かを煩い悩んでいます。何かに囚われて、ずっとその事を考え、その考えもある意味無為に展開して、そして、何か考えがまとまるでもなく、ただ煩い悩む。無駄な時間です。そして、頭は疲弊してしまいます。精神も乱れ、疲れ果ててしまいます。その結果、何にも手が付かないわけです。

 

まさに、ディストラクトされている状態です。囚われなくてもいい事に囚われて、ずっと頭は乱されているわけです。気分が良くないわけで、ネガティブな感情で、精神もまいってしまっているわけです。

 

こんな状態では、何をやるにも、パフォーマンスなんて上がりません。

 

ですから、いかに、このディストラクトされた状態を無くすか。とても大事な事です。

 

身体が疲れているかもしれません。

 

睡眠不足かもしれません。しっかり眠れていないから、その結果ディストラクトしているのかもしれません。

 

不安や恐れを、心の内に抱いているのかもしれません。自分で意識的に気付いていないですが、無意識下で、不安や恐れを感じているかもしれません。

 

それが心を縛っていて、頭を悩ませていて、そして、ディストラクトされてしまっているのかもしれません。

 

ですから、自分の無意識下の不安や恐れを、ちゃんと認識して、そして、理解する事です。自分が何に不安や恐れを抱いているかを。

 

それらが整理されてくると、自ずと不安や恐れは軽減し、ディストラクトされた状態が無くなるかもしれません。

 

睡眠不足も、ちゃんと対処すれば、自然とディストラクトが改善されるかもしれません。

 

自分がやりたい事は、ディストラクトされた状態を無くすことによって、自然で現れてきます。強く意識しなくても、知らず知らずのうちに浮上してきます。やりたい事というのはそういうものです。強い根拠はありません。ただ、何となくやりたいんです。

 

そういう事は、ディストラクトされた状態が解放されれば、自然と出てきます。

 

ですから、まずは、自分がディストラクトされている事を無くすことです。そうする事で、自ずとやりたい事に集中できます。

自分で自分自身を保つ事がとても大事。

自分で、自分を保つという事がとても大事だと思うわけですが、一方でこれは確かに難しい事です。人間は決して独りでは生きていけませんし、互いに、みんなで支え合わなければ生きていく事など出来ないわけです。

 

だから、社会はみんなで支え合うような方向に形作られてきたわけです。ただ一人で生きている人は実質いないわけで、何らかの形で誰かと関りながら生きているわけです。

 

とは言え、人が生きる時に、人に支えてもらう事を前提にして生きていこうとするのもそれはそれで問題になります。人は一人の人間として生まれてきて、そして、一人の人間として死んでいくわけです。いかようにも、人間は一人の個体なわけです。

 

生きるという事に対して、人間は独りである事を突き付けられるわけです。

 

自分が生きていこうとするとき、色んな人の話を聞いて、それらを参考にする事はできますが、ですが、そのようにして生きる事を決める時、それを決めるのは自分なわけです。自分以外の人に決めてもらおうとしても、やっぱり最終的には自分独りで決めないといけないわけです。

 

自分の命は、自分以外の誰でもなく、自分自身が預かっているわけです。その命をどうするか、決めるのは自分です。責任を持つのも自分です。いかようにしても、自分の命をどうするかは自分で決めるしかないんです。

 

そのように捉えた時、やはり、自分を自分自身で保つという事を、自分で引き受けなければなりません。事実、物理的には他の誰かに頼らなければならないですが、とは言え、前提としては、自分でどうにかするという事は忘れてはいけません。

 

確かに、苦しい時、誰かに助けてもらいたいわけです。そして、誰かに助けてもらわなければならないわけです。ですが、その苦しさを、やはり自分自身で責任を持って引き受けなければなりません。他の誰かに引き受けてもらう事は出来ません。そして、その苦しみを、自分自身でハンドルしていく覚悟を持たなければなりません。

 

苦しみを感じるのは、他の誰でもなく、紛れもなく自分なわけですから。

 

繰り返しですが、人は自分独りだけでは生きていけません。他の誰かを必ず必要とします。その意味では、とても弱い生き物です。

 

ですが、それでも、自分は自分自身で生きていく、自分自身の事は自分で保つ。その心意気は必要なわけです。自分の命は自分自身のものでしかないわけですから。人間とはいかようにも、そのように生きていかなければならないわけです。

人は愛するものの為に働く。ウェルビーイングや自由。

人は何のために働いたら良いのか。働くというのは、workするという事で、お金を得る為に働くという事もあるし、お金に関係なく働くという事もあります。広い意味で、人はやはり働いていたいわけで、それは、活動していたいという意味であって、生きていくという事でもあります。

 

端的に言えば、何のために働きたいかを考えた場合、愛するものの為に働きたい、というのはあると思います。愛するものというのは、恋人や家族、友人など、人だけではなく、世界のあらゆるものが対象です。自分が愛しているものすべての為に働きたい。そういう想いは、人にはあるのではないかと思います。

 

愛するものの全てとは、人もそうですが、世界、世の中、人類、地球、宇宙、文化、歴史、道具、自然、動物や植物、学問、知識、その意味で、繰り返しですが、自分にとってのありとあらゆるものを含みます。ですから、それらすべての中に愛するもの、大事なもの、大事な事の為に働く。そういう事ではないかと思います。

 

この人間の世界で、例えば、人がより良く生きる、という事が大事だと思うわけですが、つまりそれは、ウェルビーイングが大事と言っているわけで、人のウェルビーイングの為に働くというのは、この場合、自分が何のために働いたら良いのかの1つの答えのように思います。

 

人のウェルビーイングの為に、世界のあらゆる知識は役に立ちます。歴史からも学ぶことが出来るし、あらゆる学問からも学ぶことが出来ます。歴史的に積み上げられてきた学問の知は、人の生き方を助けます。人類の歩んできた歴史は、より良い生き方の多くを教えてくれます。その意味で、知識や学問は人のウェルビーイングにとって重要で、愛すべきものと言えます。

 

そして、愛すべきものの為に働くためには、自分が常に自分自身でいる事も大切だと思います。その意味で、孤独でいる事は大事です。自分で自分を成り立たせる自立した生き方はとても大事で、自由でいる事はとても大事です。そのような生き方を追求する事は、愛する事のために働く事を支えると思います。自分が自立していれば、また、自由でいれば、いつでも、愛するものの為に働く事が出来るからです。

 

そういう意味で、何のために働いたら良いのか。それは、愛するものの為に働いたらいんだと思います。人のウェルビーイングは、人間にとって大事な愛すべき事だと思いますが、その為にも学問や知識はとても重要です。また、自立し、自由である事も、愛する事の為に働く上でとても重要です。

落ち着かない時は決断しない。時間をかけて、ジャーナリングをして、自分をよく知る。

やらないといけない事がたくさんある気がして、早く何かやる事を決めて、すぐにそれをやらないといけない。そういう風に思ってしまいます。

 

でも、そんな事はありません。急いで決める必要はありません。落ち着いていない時は、何も決めない。とても大事です。

 

心が落ち着かない時は、また、頭が落ち着かない時は、何かを考えようとしても良い考えにつながりません。そして、正しい判断が出来ません。結果、良い決断が出来ません。ですから、まずは落ち着く事です。

 

その為にも、今すぐ何かを決めようとするのではなくて、時間を置く事です。時間をかけて、明日にでも考えたらいいんです。今日考えたって、質の良い考えなんて浮かびません。少なくとも、1日寝かせるんです。1日寝かせて明日考えたらいいんです。明後日でもいいかもしれません。それくらい、時間をかけるんです。

 

そして、ただ頭の中で考えを巡らしていても、より良い判断や決断の為の思考にまでは至りません。何か文字に書き起こすんです。ジャーナリングをするんです。文字にして、文章を書き続けていると、自然と、考えるべき事が明確になります。そして、考えもシャープになります。もちろん、この作業にも時間を十分かけるんです。十分時間をかけてジャーナリングをして、そして、考えを整理するんです。これによって、かなり決断しやすくなります。

 

そのようにして、結局、何をしようとしているかと言うと、自分を知るという事です。理解しようとしているという事です。客観的に自分を理解する事で、物事を判断しやすくなるという事です。

 

自分に対する客観視や自己理解はとても大事です。基本です。そのようにして、自分をよく知っていなければ、より良い決断なんてできません。落ち着いていない時は、間違いなく、良い判断なんかできません。

 

きっと、頭や心が落ち着いていないわけですから、それは疲れが込んでいたり、精神が疲弊していたりしているんです。ストレスでいっぱいだったりするんです。ですから、実際はもっと休むべきだし、自分を解放してあげるべきです。

 

十分に自分を休ませてあげる事で、はじめて、何かをしっかり正しく考える事が出来るわけです。

 

そういうわけで、落ち着かない時というのは無理して決断しない。まずは、時間をしっかりかける。明日でも明後日でも良いんです。そして、また時間をかけてジャーナリングをするんです。きっと、考えが明確になります。

 

つまりそれは、自分をよく知るという事が大切という事です。自分に対する客観視や自己理解が大切という事です。

 

そのような取り組みによって、自ずと良い決断ができるようになります。

今日に、今に、集中する。

人はすぐに散漫になります。明日の事とか、明後日の事とか、まだやってこない日の事について考えてしまいます。

 

そんな事より、今日の事について考えるんです。今日に集中するんです。

 

それは、「今」に対しても同じです。

 

疲れてきたり、精神的にまいってきたりすると、今に集中できなくなります。疲れている事自体にも囚われてしまうし、疲れている事で注意が散漫にもなります。

 

そして、ネガティブな感情に引っ張られます。注意がネガティブな事に持っていかれて、全然目の前の事に集中できません。ネガティブな事に意識がいっていますから、それだけで疲弊します。

 

疲弊とネガティブな感情は、相乗的にそれらを膨らませてしまいます。その状態はとてもきつい状態です。

 

ですから、出来るだけ、今に集中するんです。

 

今日に集中して、今に集中する為には、身体の疲れを取らなければなりません。

 

身体の疲れは、今に対する集中を妨げます。そして、1日疲れたままでは、今日に対する集中も妨げてしまいます。

 

普段からあんまりよく眠れていなくて、日中睡眠不足というのは、もちろん集中の妨げになりますが、身体が疲れているという事自体が、集中の妨げになります。

 

身体が疲れている分だけ、意識は身体が疲れているという事に配分され、その結果集中力は下がります。身体の何処かが痛いというのも、集中力の低下につながるし、身体の何処かが疲れているという感覚もそうです。

 

だから、疲れを取ってあげる、疲れを軽減してあげるという事がとても重要です。そして、その事に気付く事です。

 

また、人間、気が付いたら意識が散漫になってしまいますから、意識的に、今に集中しようとする事も大切です。その努力は有効です。疲れていても、出来ない事ではありません。

 

そして、今日という日に対しても、意識的に、1日をちゃんと過ごすという事に集中する事です。今日にコミットするんです。どうせ明日は、コミットしてもしなくてもやってくるんですから、コミットした方が良いんです。

 

コミットせずに、集中を温存しようとしたところで、実際大して集中力は上がりません。集中できる時は、ちゃんと集中した方が良いんです。その方が、明日の集中も高まります。

 

だから、今日という日を大事にして、無駄にしないように、今日に集中するんです。コミットするんです。そうする事で正しく明日を迎えられます。

 

それと同じく、今に集中するんです。今にしっかりコミットする事で、物事がはかどります。生きた心地が高まります。